特設エッセイ 羽生結弦は捧げていく 第20回

グランプリファイナル、羽生結弦の『ノッテ・ステラータ』に見た希望、各選手に見た光

高山真

 この連載の前回のエッセイでも書きましたが、私は、羽生結弦とネイサン・チェンが、「しのぎを削っている者同士が、お互いにリスペクトをもって高め合っている」姿にも感銘を受けています。

 私は「自分でするスポーツ」としては、テニスに打ち込んでいました(とはいえ、学生時代は地区大会さえ突破できない程度の腕前でした)ので、テニス界のライバルのことを想像します。

 70年代中盤から80年代の中盤まで女子テニス界の中心にいたクリス・エバートとマルチナ・ナブラチロワ、そして00年代から現在まで男子テニス界を牽引してきたロジャー・フェデラーとラファエル・ナダル。レジェンド中のレジェンド2組の、その4人とも「相手がいたからこそ、自分も成長することができた」という意味の言葉を何度も残しています。そうした尊敬すべきライバル関係との共通点を、羽生とネイサンの間にも感じます。

 言うまでもなく羽生結弦は、ハビエル・フェルナンデスとも素晴らしいライバル関係を築いてきました。選手生活の間にライバルが変わっていくのは、それだけその選手が長いキャリアを築いてくれているからこそ。私は「羽生結弦が続けてくれていること」自体に心から感謝をしているスケートファンであり、羽生ファンですが、「彼がいなかったらやめてますね、僕は」と言った羽生が、ここから先、さらに成長していくことも心から楽しみにしているのです。

 前回のエッセイで羽生の4回転ルッツと4回転アクセルへの挑戦について詳述していますが、オリンピック連覇という大偉業を成し遂げたスケーターが、連覇後も競技活動を続けていること、まったく前例のない道を走り続けていてくれることに、私は何より感謝をしています。

 しかもここからの選手生活が、これからピークにさしかかっていく若い選手のような「伸びしろしかない」と感じさせるようなものであることに、「感謝、リスペクト、期待、ワクワク、畏敬」がミックスされた、ちょっと表現する言葉が見つからない感情をいだいています。

 羽生とネイサン、ふたりのこれからの戦い、いや、もっと正確に言うなら、ふたりのこれからの「高め合い」を、ただただ楽しみにしています。

 そして、これも何度も言いますが、その「高め合い」のために、選手たちが何よりも健康でありますように。羽生は言うに及ばず、ネイサンも2016年の初頭は股関節の手術で松葉杖での生活を余儀なくされた経験があります。ヘルシーなまま、競技生活を送れること。選手たちの成績以上に、私が期待していることです。

 

  • ケヴィン・エイモズ

 NHK杯を振り返る原稿でも書きましたが、なめらかさとスピードと大きさが、非常に高い次元で融合しているスケーティングをする選手。加えて、フランスの国民性でしょうか、「個性の追求」という面においても唯一無二を目指しているなあと感じます。

 フリーの2本目の4回転トウ、「決まった」と思った瞬間(実際。ジャンプそのものは素晴らしかったと思います)、エッジが氷に弾かれてしまったような感じで転倒。本当に惜しいミスでしたが、それ以外は素晴らしかった。よく伸びるスケートと、非常に個性的な体のポジションを取り入れながらおこなうジャンプ前のトランジション。そのバリエーションの豊かさ。叙情的な音楽を使いながらも、最後まで落ちないスピード……。練り上げられたプログラムを堪能しました。

 得点が出た瞬間の、喜びを爆発させた様子にもグッとくるものがありました。私にとって、選手が見せるこういった「喜び」は、フィギュアスケート観戦のひとつの醍醐味なのです。

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特設エッセイ 羽生結弦は捧げていく

『羽生結弦は助走をしない』に続き、羽生結弦とフィギュアスケートの世界を語り尽くす『羽生結弦は捧げていく』。本コラムでは『羽生結弦は捧げていく』でも書き切れなかったエッセイをお届けする。

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羽生結弦は捧げていく

プロフィール

高山真

エッセイスト。東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒業後、出版社で編集に携わる。著書に『羽生結弦は助走をしない 誰も書かなかったフィギュアの世界』『恋愛がらみ。不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』『愛は毒か 毒が愛か』など。

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グランプリファイナル、羽生結弦の『ノッテ・ステラータ』に見た希望、各選手に見た光