軽やかだから、やめてもいい。やりたい時にやればいい
――毎回来るお客さんもいますか?
はい。常連さんみたいな人もいるし、近所から毎回来てくれる人とか、会社帰りに寄る人とか、まあでも、冬は人が少ないですけどね。それでも来てくれる人がいるっていうのが面白いですね。あんな寒い場所に(笑)。
――あの屋台は、今村さんの事務所から笹尾さんと二人で持っていくんですか?
そうです。
――電源は搭載してないんですか?
最初はバッテリーを積んでたんですけど、今は照明器具も充電式にしているから電源はないです。温めるのはカセットコンロと七輪で。
――そういう部分は営業許可のルールに関係しないんですね。
そこは関係ないんです。水をタンクに入れてどれだけ用意しておくこと、とか。
――大阪のルールって他県と違いはあるんですか?
露店営業のルールは都道府県や自治体によって違うんですよ。
――屋台をやる上で、ルール以外のハードルの高さってあるんでしょうか?
やっぱり都会の方がやりやすいと思います。いろんな人やものがいるので。でも駅前などだと周りにお店が多いからわざわざ屋台がそこに行く意味がないですし、人通りが多すぎると交通の妨げになるなど、そこからのクレームにつながっちゃうんで、人はいるけど邪魔にならないような場所が大事ですね。
――大阪のあの場所で屋台をやっていて、通行する人のリアクションとかって他の地域と違うものですか?
東京の下北沢でやった時は、いろんな場所を転々として営業しましたが、意外とあんまり見られていなかったですね。ごちゃごちゃした雰囲気に溶け込んでしまってる感じがあったかも。橋ノ上ノ屋台は「先月も見かけたけど勇気がなくて行けなくて、今月やっと来れました」っていう人もいて、続けていくことで意外と見られてるんだなって。
――「橋ノ上ノ屋台」とは別かもしれないですけど、私が大阪に引っ越してきた10年ほど前は、もっと街の中で屋台を見かけた気がするんです。なんばでラーメンの屋台を見かけて食べた記憶もあって。でもそれがどんどん無くなっている印象で、個人的には寂しいんです。
僕らでも4割は警察が来るぐらいなので、同じ場所でやり続けるのは難しいし、それでお金を稼いで生きていくのはさらに大変だから、みんな辞めてしまうんだと思います。僕らは何かあったら移動できるし、別の仕事もしながら楽しくやっていることなので。そうじゃなかったら、「ここがお客さんが一番来る場所だからここでやり続けなきゃいけない」とか、それで生きていこうと思うとそうせざるを得ない。僕らは軽やかにやれているので、続けられているんだと思います。
――そうですよね。長年同じ場所や同じエリアでやっている屋台は本当に大変でしょうね。
そうですね。でも軽やかな屋台が増えていったら面白いと思うんです。軽やかだから、やめてもいい。やりたい時にやればいい。そういう個人的な屋台が、街の中にいくつもあったら面白いんじゃないかって。
――それはすごく楽しそうです。店舗を構える必要がないだけで、商売をスタートする障壁が低いわけですもんね。キッチンカーはすごく増えている気がするんですが。
キッチンカーは初期投資も必要ですし、ある程度はそれで生きていこうという覚悟が必要だと思います。一見似ているようで、屋台とはまたスタイルが違うかもしれないですね。
――そうですね。手で押してサッと動かせる屋台だからこその参入障壁の低さがあるというか。
必ずしも気まぐれにやればいいって思うわけじゃないんですけど、それぐらいのほうが今はやりやすいと思うし、どこかに大きな負担がかかるよりは、みんながわらわらとやってる方が楽しいなって。
――もし行政のお膳立てがあって「屋台広場」みたいなスペースができたら、またそれはそれで意味合いが違ってしまうんでしょうね。
そこには屋台の自由さがないですからね。屋台というものの裾野が広がるのはいいことだと思いますけど。
――大阪を拠点に活動しているということは、今村さんにとってどうですか?
大阪は好きですよ。住みやすいし、働きやすいし、屋台も大阪の方が受け入れてもらいやすいと思いますよ。アホなことを許してくれる感じが、他よりもあると思いますよ。
――これから万博に向かって大阪がどうなっていくのかなってずっと考えているんです。
70年の万博は新しいテクノロジーとかがこれから日常的なものになっていくんだという感じがあったからあれでよかったんだと思うんですけど、今度の万博って、イベントを通して僕らの生活がどう変わっていくのかとか、日常に定着していく感じが全然しない。だからみんなフラストレーションを感じているんだろうなと思います。「橋ノ上ノ屋台」も、イベントっぽく見えるかもしれないけど、毎月やることで地域の人と関わる必要も出てくるし、日常を意識することがポイントだと思ってやっているんです。そうすることで小さなことですが、場所やまちの人の意識が変わってくる。そういう意識が今度の万博にあまり見られないなと。
――ドーンとやって終わりみたいな感じがしますね
継続するから、向き合わないといけない問題がでてくる。続けるから意味があると思うんです。イベントってただの点で、その後どうなって欲しいかのイメージと、そのためにどういうプロセスをしていくかが万博では大事だと思うんです。それが抜け落ちてしまってる気がしますね。作って終わりというか。
――まさにそうですね。「橋ノ上ノ屋台」は長く継続して欲しいです!今日はありがとうございました。
取材後の2024年4月、「橋ノ上ノ屋台」がスタートして2年目の節目に、神戸の元町で「橋ノ上ノ屋台 公開反省会」というイベントが開催された。笹尾さんと今村さんがこれまでの写真や記録を振り返りながら対話し、改めて今後について考えるという主旨のものだった。
「この時は警察が来て大変だった」「この日は最高の気候だった」みたいなたくさんの思い出話を楽しく聞いた後、「どうしますか?橋ノ上、これからもやりますか?」と、今村さんが言い、笹尾さんは「どうでしょうね……」と明確に回答せぬまま会が終わった。軽やかさを大事にしていると今村さんも言っていたし、ひょっとしてもうやらないのだろうかと少し寂しく思ったのだったが、2024年6月、またあの橋の上に明かりが灯っているのをこの目で見て、まだしばらくはこの場があり続けてくれそうだと安心した。
(了)
2014年から大阪に移住したライターが、「コロナ後」の大阪の町を歩き、考える。「密」だからこそ魅力的だった大阪の町は、変わってしまうのか。それとも、変わらないのか──。
プロフィール
1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』『QJWeb』『よみタイ』などを中心に執筆中。テクノバンド「チミドロ」のメンバーで、大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』(スタンド・ブックス)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)、パリッコとの共著に『のみタイム』(スタンド・ブックス)、『酒の穴』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)がある。