ウクライナの「戦場」を歩く 第9回

地下に約50日間いた母娘の体験

伊藤めぐみ

■地下シェルターで46日間

一家はどうにか地下シェルターにたどり着き、近所の人も合わせて6人で3月2日から4月16日までの46日間、凍えるほど寒いその場所で過ごすことになる。木のベンチを寝床にしていたそうだ。母イリーナさんが言う。

「時々、地下から出ることもありましたが、出る度に街が破壊されていくのがわかるんです。それから、みんなシェルターや地下室にいたから地上では人の姿を全く見かけないんです。恐ろしい光景でした。

砲撃の音が当たり前になっていました。私たちが今いるザポリージャのこの場所は静寂があるでしょ。でもマリウポリには静寂はなかったんです。ずっと攻撃されていました。朝も夜も」

娘ビオレッタさんは、こんなふうに表現した。

「地下シェルターの床に座りながら考えていたんです。『なんて戦争前の生活は退屈だったのだろうか』って。まるで超大作のアクション映画の中で生きているみたいでした。その一歩で生きるか死ぬか、撃たれて殺されるか空爆で殺されるか決まるんです」

ビオレッタさんとイリーナさんが滞在所で話を聞かせてくれている時には、いつも足の細い小さな犬が彼女たちのそばにいた。二人の腕の中で丸くなって眠ったり、その傍らを行ったり来たりしている。タイソンという名前だという。ビオレッタさんはちょっと表情を和らげて教えてくれた。

「この子が地下シェルターの中で一番、穏やかで静かな生き物だったと思います。砲撃や発砲があってもずっと腕の中にいて眠っていました。私は服とか高いものはどうでもいいんです。犬は家族。置いてはいけません。その時が来たら私はこの子を腕に抱えて走って逃げるつもりでいました」

動揺していないように振る舞うタイソンの様子が、ビオレッタさんたちの支えだったのかもしれない。

ビオレッタさんの膝の上のタイソン。4月27日の八尋伸・撮影動画より

ビオレッタさんは基本的には一日中、地下シェルターにいたという。若い女性はロシア軍兵士にレイプされるという噂があったからだ。

一方で、わずかながら外に出ることもあった。ウクライナ軍について尋ねると、彼女は「そう言えば」と言って3月8日の「国際女性デー」に、車に乗ったウクライナ軍兵士の集団に出くわしたことについて教えてくれた。

「彼らの車が私の前に停まったんです。『国際女性デー、おめでとう』と言ってウォッカをくれました。それでまた去っていったんです」

彼らが退避する途中なのか、任務に向かう途中なのかはわからなかったそうである。助けを求めるという状況ではなかったようで、「ウォッカをもらってどう感じましたか」と尋ねると、嬉しいのでも腹が立ったというのでもなく「ただショックだった」とビオレッタさんは言った。

彼女はウクライナ軍を見てホッとしたわけでも、逆に助けてくれなかったと恨むわけでもない。軍にすべてを期待できる状況ではなく、また若い兵士自身が限界の中にいるのだと気づいてしまったのかもしれない。兵士への諦めでもあり、同情でもある。

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ウクライナの「戦場」を歩く

ロシアによる侵攻で「戦地」と化したウクライナでは何が起こっているのか。 人々はどう暮らし、何を感じ、そしていかなることを訴えているのか。 気鋭のジャーナリストによる現地ルポ。

プロフィール

伊藤めぐみ

1985年三重県出身。2011年東京大学大学院修士課程修了。テレビ番組制作会社に入社し、テレビ・ドキュメンタリーの制作を行う。2013年にドキュメンタリー映画『ファルージャ ~イラク戦争 日本人人質事件…そして~』を監督。同作により第一回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第十四回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞を受賞。その他、ベトナム戦争や人道支援における物流などについてのドキュメンタリーをNHKや民放などでも制作。2018年には『命の巨大倉庫』でATP奨励賞受賞。現在、フリーランス。イラク・クルド人自治区クルディスタン・ハウレル大学大学院修士課程への留学経験がある。

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