ウクライナの「戦場」を歩く 第9回

地下に約50日間いた母娘の体験

伊藤めぐみ

■「ただ攻撃の中にいることだけを感じていた」

イリーナさんにこう尋ねてみた。

「マリウポリではテレビのニュースやインターネットは見られないと聞きましたが、あなたはウクライナ軍は勝っている、負けているなどと考えていましたか?」

彼女はこう答えた。

「軍のことなんて考えもしませんでした。自分たちの住む地域がウクライナ軍かロシア軍、どちらの下にあるかと考えたりはしません。数分後に自分たちに何が起きるかさえわからなかったんですから」

前の日に避難民ハブで取材した時には、ウクライナ軍を見ると「ほっとした」と言う人が多かった。しかしイリーナさんのように、そのようなことを考える余裕も情報もない人もいるのだ。

「ただ自分は攻撃の中にいるということだけを感じていました」

と彼女は言った。

娘のビオレッタさんにはこう聞いてみた。

「戦争前、マリウポリの人はロシア政府とウクライナ政府、どちらに親近感を持っていましたか?」

「半々くらいだと思います。一つの家族でも、考えが違うことがあるくらいですから」

「あなたの家族はどうでしたか?」

思い切って尋ねてみた。際どい質問ではあった。ロシアへの怒りが高まっている今のウクライナで「かつてはロシア政府を支持していた」とはとても言いづらい。また私がそう聞くことは、私が彼女たちを「ロシア側のスパイ」と疑っているようにも捉えられかねない。

ただ私は、母親のイリーナさんが特に強くロシアを批判する感じでもない様子であることが気になっていたのだ。「ドネツク人民共和国」からの人道支援物資やロシア兵のクッキーの話をしていたこともあった。

スパイ捜しのつもりはもちろんないが、そもそも私が東側に来たかった理由である、人々のロシア政府への感情について知りたい。

ビオレッタさんはこう答えた。

「私たちにはロシア側の領土に行くという選択肢もありました。そう呼びかける政治家もいました。でも私たちはずっとウクライナ側に行ける可能性を待っていたんです。わかるでしょ? 私たちがどちらの側を選んだのか。ウクライナ側なんです」

私は「変な質問をしてごめんなさい」と謝った。

彼女たちは最終的にはウクライナ側に来ることを選んだ。それが現実なのだ。

また、生きるか死ぬかの時にどちらを支持するか考えることができないのもわかる。問題は誰を支持するかではなくて、生きられるかどうかなのだ。

この一家がということではなく、以前はロシアに親しい感情を持っていた人たちもいたのだろうとも思った。だが、この状況では口に出す言葉も慎重になる。

イリーナさんがかつて抱いていた気持ちはわからない。彼女自身もまだ混乱しているのかもしれない。

まだまだ人々は渦中にいるのだ。

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ウクライナの「戦場」を歩く

ロシアによる侵攻で「戦地」と化したウクライナでは何が起こっているのか。 人々はどう暮らし、何を感じ、そしていかなることを訴えているのか。 気鋭のジャーナリストによる現地ルポ。

プロフィール

伊藤めぐみ

1985年三重県出身。2011年東京大学大学院修士課程修了。テレビ番組制作会社に入社し、テレビ・ドキュメンタリーの制作を行う。2013年にドキュメンタリー映画『ファルージャ ~イラク戦争 日本人人質事件…そして~』を監督。同作により第一回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第十四回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞を受賞。その他、ベトナム戦争や人道支援における物流などについてのドキュメンタリーをNHKや民放などでも制作。2018年には『命の巨大倉庫』でATP奨励賞受賞。現在、フリーランス。イラク・クルド人自治区クルディスタン・ハウレル大学大学院修士課程への留学経験がある。

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