ウクライナの「戦場」を歩く 第9回

地下に約50日間いた母娘の体験

伊藤めぐみ

■運よくラジオを手に入れ「人道回廊」へ

4月16日、ロシア軍兵士が彼女たちの隠れている地下シェルターのあたりにやってきた。彼らは一緒に避難していた男性たちにこう伝えた。

「アゾフ連隊を捜しているが彼らを壊滅させることはできなかった。だからこのあたりを空爆することにした。地下シェルターから出て行くように」

アゾフ連隊ついてはまた後の回で説明するが、現在はウクライナ軍の一部であり、ロシア軍がネオナチの集まりだとして非難する軍事部隊だ。一方でウクライナの人々の間では今はネオナチとは関係なく、危険な前線で戦ってくれていると支持する声も強い。

一家はまた移動し、友人の両親のいるアパートへ向かう。建物全体が黒焦げになり破壊されていたが、奇跡的に彼らが暮らしていた部屋は無事なまま残っており、地下のシェルターも使うことができた。3日間そこで過ごした。

ここから母娘の証言は若干異なる。

母イリーナさんは人道支援物資の配給が近所で行われており、そこに行ったと言う。

「ドネツク人民共和国の人たちが物資を配っていました。温かい食事や子どものジュースや薬を、量は少なかったけれども配給していたんです。その人たちはドネツク人民共和国の政府とは関係ないと思います」

つまり2014年からすでに親露派政権のもとで生きてきた人たちが、わざわざマリウポリまで来て支援物資を配っていたと言うのだ。戦時下なのにそこまでアクセスできたということは、イリーナさんの言葉とは違って「ドネツク人民共和国」の政府による関与があったはずだが、とにかく彼らがそこで支援物資を配っていたのだ。

娘のビオレッタさんは教会でのボランティア活動に参加したそうだ。そのあたりでは攻撃はあまりなく、片付け作業などを手伝ったという。

その帰り道、彼女らは知り合いからラジオをもらう。ビオレッタさんが言う。

「スイッチを入れたら、たまたま人道回廊が初めてマリウポリの左岸地区(東側)に設けられるとアナウンスされていたのを聞いたのです。その時は昼の12時で、あと2時間後に集合場所にいないといけませんでした。急いで行く決断をしました」

「人道回廊」とは、前回も少し触れたが、ウクライナ政府とロシア政府で日時とルートを合意して、民間人を避難させるバスを運行するものだ。しかし実際にはバスが攻撃を受けたとされたり、ウクライナ側に行くと言われながら騙されてロシア側に連れていかれたりと問題もあった。ビオレッタさんは言う。

「避難するのは怖かったです。大丈夫なのか、無事に移動できるのか。誰もどうなるかわかりません。行くのも残るのも両方怖かったんです。

でも行くと決めて、近所の人にお金を200とか300フリブニャ(筆者注:2022年4月当時のレートで千円前後)払うから車で集合場所まで乗せていってと頼みました。最初はおばあちゃんと私が一緒に行きました。それで車だけ戻って今度は父と母を乗せて来ました。集合時間の20分前にみなが揃いました」

集合場所には80人くらいの人たちがいたという。避難バスが出ることを知らず、何ごとが起きたのかと集まってくる近所の人たちもいたそうだ。

興味深いのは、ビオレッタさんが覚えていたロシア側の撮影陣の存在だ。

「ヘルメットをかぶって『プレス』の表示をつけた人たちがいたんです。彼らはプロの撮影隊でロシア語を話していました。私にインタビューをしようとしてきたけれど、恥ずかしいから嫌だと断りました」

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ウクライナの「戦場」を歩く

ロシアによる侵攻で「戦地」と化したウクライナでは何が起こっているのか。 人々はどう暮らし、何を感じ、そしていかなることを訴えているのか。 気鋭のジャーナリストによる現地ルポ。

プロフィール

伊藤めぐみ

1985年三重県出身。2011年東京大学大学院修士課程修了。テレビ番組制作会社に入社し、テレビ・ドキュメンタリーの制作を行う。2013年にドキュメンタリー映画『ファルージャ ~イラク戦争 日本人人質事件…そして~』を監督。同作により第一回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第十四回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞を受賞。その他、ベトナム戦争や人道支援における物流などについてのドキュメンタリーをNHKや民放などでも制作。2018年には『命の巨大倉庫』でATP奨励賞受賞。現在、フリーランス。イラク・クルド人自治区クルディスタン・ハウレル大学大学院修士課程への留学経験がある。

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