WHO I AM パラリンピアンたちの肖像 第7回

不屈のボスニア魂

サフェト・アリバシッチ 激動の時代に、シッティングバレーボールと出会う

黒川祥子
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 サフェトの妻であるアムラもまた、戦場となった街で生きざるを得なかった子どもの一人だ。

「戦争が始まった時、私は9歳でした。始まった時は、パルチザンの映画かと思いました。爆弾が落ちるので、一応かがむんですが、これは映画なのだから何も実害はないと思いたかった。だけど実際は家に連日、銃弾が打ち込まれ、父は戦場から帰ってこない。食料も水も電気もない。そんな中、毎日、学校に通っていました。戦争中なんですが、その頃が、一番よく遊んでいた時代です。だって、子どもだったから。ありがたいことに私たちは生き残れ、私の家族は誰も怪我さえしませんでした」

 サフェトたち一家3人が暮らすマンションの外壁にも、「当たり前のように」銃弾や砲弾の痕が打ち込まれている。

(C)Paralympic Documentary Series WHO I AM

 3歳の娘・アヤに、サフェトは慣れた手つきで哺乳瓶でミルクを飲ます。コートの中とは別人のような柔和な表情のサフェトの傍で、アムラが言う。それはボスニア人誰もが抱く、同じ思いだ。

「ニュースなどを見ると、また戦争が起きるという人もいますが、当然、そんなことが起きて欲しくありません。自分やサーヨ(サフェトの愛称)のためだけでなく、アヤのためにも決して。私たちがやっと生き延びた体験など、あの子にはしてほしくありませんから」

観光マップに記された負の遺産

 サラエボ市内の観光マップでひときわ目を引くのが、「スナイパー通り」という名称だ。占拠された高層ビルから、この通りを歩く人たちをスナイパーが狙い撃ちした場所なのだが、その忌まわしい記憶が息づく通りを敢えて、「スナイパー通り」として観光名所にしてしまう。このサラエボ市民のアイロニカルなユーモアは、サラエボ市民が持つ不屈の精神に裏打ちされたものなのか。

「サラエボの薔薇」もそうだ。サラエボ市内のアスファルトには、いくつも赤い点々がある。砲弾や爆撃によって死者が出た場所に残された、砲弾痕や銃弾痕に赤い樹脂を流し込んだものだ。それを敢えて、サラエボ市民は「サラエボの薔薇」と呼ぶ。

(C)Paralympic Documentary Series WHO I AM

 当時、陸の孤島となった街にとって唯一、外との出入り口となった生命線が、空港近くに掘られたトンネルだ。その一部も「トンネル博物館」として、一般に公開されている。サラエボ中心部から車で1時間ほどの場所に、かつて800メートルあったトンネルが20メートルほど残され、当時の写真、衣類や武器、配給された食品、物資を運ぶトロッコなどとともに展示されている。

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WHO I AM パラリンピアンたちの肖像

内戦で足を失った選手、宗教上の制約で女性が活躍できない国に生まれたアスリート……。パラリンピアンには、時に五輪選手以上の背景やドラマがある。共通するのは、五輪の商業主義や障害者スポーツに在りがちなお涙頂戴を超えた、アスリートとしての矜持だ。彼らの強烈な個性に迫ったWOWOWパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。番組では描き切れなかった舞台裏に、ノンフィクション執筆陣が迫る。

プロフィール

黒川祥子

東京女子大学史学科卒業。弁護士秘書、業界紙記者を経てフリーに。主に家族や子どもの問題を中心に、取材・執筆活動を行う。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待~その後の子どもたち』(集英社)で、第11回開高健ノンフィクション賞受賞。他の著作に『子宮頸がんワクチン、副反応と闘う少女とその母たち』(集英社)、橘由歩の筆名で『身内の犯行』(新潮社)ほか。息子2人をもつシングルマザー。

 

 
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