対談

「日本の劣化」を食い止めるカギは「森のようちえん」にある!?【後編】

宮台真司×おおたとしまさ

「文明化」と「高文化化」が多数の問題を生んできた

宮台 正確にいうと、共同身体性の能力は、僕ら全員に共通するゲノムの潜在性です。でも、その潜在性に文化的な「上書き」がなされて、表現型になります。マイケル・サンデルがトロッコ問題を持ち出す理由も、その事実を語るためでした。

5人助けるか1人助けるかの構造が同じでも、5人助けるべく1人殺す進路切り替えレバーを引けるのが7割で、5人助けるべく1人の巨漢を軌道上に突き落とせるのが3割というのは、国や文化に関係ないゲノムベースの割合です。

でも、質問文に巨漢の属性を入れると割合が変わります。巨漢が、男なのか女なのか、大人なのか子どもなのか、白人なのか黒人なのか(この場合は自分が白人なのか黒人なのか)で、突き落とせる割合が変わるということです。

ゲノムを文化が上書きして、突き落とせるかどうかの「感情の越えられない壁」が変わること。これは現在、暴走する自動運転車を、老若男女が並んだ横断歩道のどこに突っ込ませるのかというAIの設定問題として、顕在化しています。

ところで、「文化の上書きには良いものと悪いものがあるんじゃないか」という問題はどうでしょうか。「構築主義」に与する者が育つ最近の頓馬な社会学界隈では、「文化の良し悪しなんてない」と考えてきました。

そんな「文化相対主義」は、あり得ないとするのが、80年代のイリッチの生態学的思考たとえば生態学的フェミニズムや、それのリバイバルとしての今世紀の人類学者エドゥアルド・ヴィヴエイロス・デ・カストロのアニミズム論です。

人類が「言葉と法と損得」に閉ざされて社会を回すようになったのは1万前から始まった定住以降です。当初は歌のような詩的言語が優位だったのが、3千年前から同時多発的な文明化で、統治の必要から書き言葉の散文言語が優位になる。

書記言語よるロゴス化で、自分の反応への反応への反応……という再帰性が可能になって、リフレックス(反応)からリフレクション(反省)への移行が生まれた。エリック・ハブロックとジュリアン・ジェインズがいう「意識の誕生」です。

ヤスパースが「軸の時代」と呼ぶ当時多発的文明化で、定住ユニットを支える共通の生活形式(による共同身体性)に亀裂が生じ、共同体宗教=民族宗教が、個人宗教=世界宗教に移行。個人ごとに違う心があるとする「個人化」も生じます。

そこから、個人の意識次第で、本来はただ一つの物理的自然がどうとでも見えるとする「意識相関主義」が生じ、個人の意識が一定の圏内で一定の傾向を示すことから「文化相対主義」に到りました。人類学者デ・カストロの議論ですね。

他方、個人に所詮は相対的にすぎない文化が埋め込まれる過程が問題化され、コミュニケーションの比較的閉じた圏域である社会が、代理人を使って言語使用のパターンを抑圧的に埋め込む過程が注目されます。精神分析学者の議論です。

フロイトはこの抑圧がもたらす不安の埋め合わせとして「神経症」を概念化、ラカンは抑圧を媒介する代理人の機能不全として「精神病」を概念化しました。いずれも「脳神経機能」と「生きづらさのストレス」の積から症状化するとします。

症状化が内外のパラメータによる「機能劣化」だとすると、生来の脳神経的「機能劣性」として「発達障害」が概念化されます。それを「機能劣性」として見出すのが、適応圧力をかける「社会の眼差し」であるのも最近明らかになりました。

本来は数十冊の本で学ぶべきことだけど、一瞬で圧縮すると、文明化(大規模定住化)と、それに伴う高文化化(「言語・法・損得勘定」への閉ざされとしての個人化とロゴス化)が、こんなにも多数の問題を分泌してきたんですね。

それゆえ人類学者が文明化自体を問題にしはじめたのが世紀末です。分厚い中流が支える人間関係資本に依存する脆弱な民主政の、盤石さを信じ込む頓馬な社会学者と、民主政の改革で何とかできると信じる誠実な政治学者を尻目にね。

90年代前半に科学人類学者ブリュノ・ラトゥールと表象人類学者ダン・スペルベルがほぼ同時に、近代化ならぬ文明化に由来する、「主体である個人が、加工品や表象を製作する」という人間中心主義を、激しく批判しはじめます。

加工品は加工品群を道具として作られる。加工品群の個々の要素も加工品群を道具として作られる。むろん行為する人間をも道具とする。これは無限に遡る。主体でなく、物と身体を等価なアクターとするネットワークだけが「存在」する。

表象は、ひとを培地として直前の表象群から生まれる。個々のひとの意識に関係なく、表象は繁殖し死滅する。歴史的な表象分布をみれば明白だ。万事を人権に回収する動きは、人権表象の繁殖力の強さによる。表象繁殖だけが「存在」する。

ひとは自分を主人と思い込みつつ、大古から増殖し続ける物や表象の生態学的歴史に、媒介として利用されてきただけ。この発想は「小麦は人類文明を利用して遺伝者を増殖させた」とするユヴァル・ノア・ハラリの議論にも見られます。

これが人類学の「存在論的転回」です。フーコーの影響と見られがちだが、違う。ナチス翼賛を批判されてケーレ(転回)して以降のハイデガーの「総駆り立て論」と同じ形。ハイデガーが第1次、世紀末人類学が第2次の存在論的転回です。

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プロフィール

宮台真司

1959年宮城県生まれ。社会学者。映画批評家。首都大学東京教授。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。社会学博士。1995年からTBSラジオ『荒川強啓 デイ・キャッチ!』の金曜コメンテーターを務める。社会学的知見をもとにニュースや事件を読み解き、解説する内容が好評を博している。著書は『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』『日本の難点』(いずれも幻冬舎)、『14歳からの社会学』(ちくま文庫)、『社会という荒野を生きる。』(ベスト新書)、『子育て指南書 ウンコのおじさん』(共著、ジャパンマシニスト社)、『音楽が聴けなくなる日』(共著、集英社新書)など多数。

おおたとしまさ

1973年東京都生まれ。教育ジャーナリスト。1997年、株式会社リクルート入社。雑誌編集に携わり2005年に独立。数々の育児誌・教育誌の編集に携わる。新聞・雑誌・Webへのコメント掲載、メディア出演、講演多数。著書は『ルポ塾歴社会』(幻冬舎新書)、『受験と進学の新常識』(新潮新書)、『麻布という不治の病』(小学館新書)、『いま、ここで輝く。: ~超進学校を飛び出したカリスマ教師「イモニイ」と奇跡の教室』(エッセンシャル出版)、『名門校「武蔵」で教える東大合格より大事なこと』『ルポ森のようちえん』(いずれも集英社新書)、『ルポ名門校 ――「進学校」との違いは何か?』(ちくま新書)など70冊以上。

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