日本の息苦しさに堪え兼ね、スペインへ緊急脱出した若き文筆家・飯田朔。4か月間の生活を経て次第に見えてきたのは、かの国が抱える様々な「不足」だった……。
身の回りに溢れる不十分、それらと向き合うスペインの人たちが共有しているのは「透徹した認識」だという。政治や経済、文化も含め、あらゆる資源が有限である地球上にあって、不足や不十分との対峙は大多数の人にとって不可避の問題とも言える。
30歳目前の著者が世界の「はしっこ」から贈る世界論の第2回。
スペインのサラマンカへ語学留学にきて、はや4か月が経った。ここで生活するなかで感じたのは、何かスペインの社会はデコボコしている、ということだった。デコボコとは、どういうことか。スペインといっても、あくまでサラマンカという一地方都市に住んだ感想にすぎないが、それでもここで暮らしていると、この国はそこらじゅうに様々な問題を抱えている、「おうとつ」のある場所だ、と思えるのだ。それは単に社会がマイナス要素を抱えているということではなく、プラス要素も含めておうとつにこそスペインという国の特徴が現れているという意味だ。
おうとつの中には、国・社会の抱える「大きな」問題もあれば、一個人が抱える「小さな」問題もある。こちらに着いてから最初に気がついたのは前者のほうで、端的に言うとスペインが抱える資源の問題だった。
今年(2018年)の2月のはじめ、ぼくは成田空港からスペインのマドリード・バラハス空港まで、イベリア航空の昨年できたばかりの直行便で向かった。空港からは、ドライバーの運転する車で高速道路を2時間走り留学先の街サラマンカへ着いた。
最初空港を出るとき、車の窓からどんな風景が見られるかと楽しみにしていたのだが、ひたすら何もない平野ばかりだ。日が沈み、あたりが見えなくなると、さながら夜の砂漠を走っているような気持ちになった。決してスペインを緑が多い国だ、などとは思っていなかったものの、正直ここまで人家も森も畑もなく、平野ばかりが続くとは予想していなかった。とりあえずぼくにとってのスペインの第一印象は、この「何もない平野」である。
スペインの一般家庭の様子を知りたいので、到着後1か月はホストファミリー滞在を予約した。ホストファミリーは、スペイン人の高齢のご夫婦で、家はサラマンカの旧市街にも近いアパートメント。二人ともあたたかく出迎えてくれたが、最初に真っ暗な廊下で、おばさんから早口なスペイン語で「水と電気を使いすぎないように!」と家のルールを教えられ、時差ボケもあったからか、妙に頭がぐらぐらした。
そうしてしばらく生活するなかでスペインの抱える問題をいくつか知った。まずはこれは知られた話かもしれないが「水が不足している」ことだ。ホストファミリーの家では、シャワーは毎日ひとり10分というルールがあり、バスタブはなく、トイレの水も流しすぎてはいけない。サラマンカが属するカスティーリャ・イ・レオン地方はかなり乾燥した土地柄で、とくに昨年は雨が少なかったらしく、ニュースで何度も政府の貯水池の水が足りていないことが報道されていた。
また、「スペインは電気代が高い」ことも知った。ホストファミリーの家では、基本的に日中電気をつけず、夜もホスト夫婦は真っ暗なリビングでテレビを見る。語学学校の先生に聞いたところ、スペインのたいていの地域ではそれが普通だという。たしかに街を歩くと、バルや商店は半分くらい電気を消した店が多く、営業しているのに、東京だったら閉店した後の店のように薄暗い。
こうした「資源の面での不足感」は、直近の経済の急降下とは別に、近年のスペインを漠然と経済発展のイメージで捉えていたぼくには率直に驚きであり、日本の東京での暮らしと比べて、少し身につまされるものがあったし、東日本大震災のときに節電が行われた東京の街の暗さを思い出したりもした。
30歳を目前にして日本の息苦しい雰囲気に堪え兼ね、やむなくスペインへ緊急脱出した飯田朔による、母国から遠く離れた自身の日々を描く不定期連載。問題山積みの両国にあって、スペインに感じる「幾分マシな可能性」とは?