ニッポン継ぎ人巡礼 第4回

日本の宝「藍色」を守るために。新たな産業として藍染に挑む人たち

甲斐かおり

「スクモの量」がボトルネックに

発酵の力を生かした伝統的な藍染には、多くの人を魅了する奥深さがあるのだろう。一人の染色家はこう話していた。

「藍は生き物です。私は藍液を管理する難しさを経験して、さらに藍に惹かれていきました」

藍建てした甕(かめ)によって出る色が違い、気温や発酵具合によって色合いが変わる。最終的に、望む色が出せるように試行錯誤するのが、染色家にとっての醍醐味だという。
そんな風に、藍を染める人、つまり染料「スクモ」を必要とする作家や愛好家は、合理化の流れと逆行して増えた。

仕立てられた衣服や白い布を手で藍液に浸し、液の中で揉み込み、再び引き上げる行為を繰り返すことで、次第に深い藍色に染まっていく。そのため藍染職人の爪はいつも青い。古庄染工場にて。

一方で、スクモをつくる藍師はどうか。

明治時代には徳島に何百人といた藍師は、今では4〜5軒のみ(*5)。明治以降、新しい藍師は一人も増えていないという。1967年に文化庁の選定保存技術に認定されてからは後継者育成に助成金が出るようになったが、それも4軒だけが対象である。

高齢化で藍葉を栽培する農家も減り、藍の葉も手に入りにくい。つまり、藍の葉とスクモが慢性的に足りない状況が続いている。

一方、アパレル業界では天然素材を求める動きが始まっている。冒頭の写真で紹介した藍染工房「Watanabe’s」代表の渡邉健太さんは、今、スクモはつくればつくるだけ、国内外で需要があると話していた。

天然藍を産業として広げていく市場はあるにも関わらず、「スクモの量」がボトルネックになっているのである。

「徳島県立農林水産総合技術支援センター」の研究員(2024年4月より徳島県庁勤務)、吉原均さんは、徳島の阿波藍をとりまく問題点をこう指摘する。

「スクモをつくる藍師の数が限定されている現状では、たとえスクモの需要がふえても供給量を増やせません。それでは産業として発展するわけがないんです。伝統的な藍産業を再生するつもりなら、藍の葉の栽培を増やし、藍師を増やしてスクモの量を増やしていかないといけない。県をあげて藍染のPRはしてきたけれど、表面的なことばかり取り上げて、足元で藍の葉の栽培をする人たちへの支援が薄いのが現状です」

徳島県のスクモの生産量は2022年で45トン。叺(かます)と呼ばれる袋(1俵約56キログラム)で約803俵ほどになる。1俵あたり14万円(税別)で取引されるため、大まかに市場規模は全体で1億1200万円ほど。

全国の染め師が求める量に対して、スクモの供給量が足りないため、誰でも自由に買えない。得意先には藍師から注文票が送られてくるという、閉じられた世界での売買になる。藍師とのツテを通して初めて融通してもらえる希少品なのだ。徳島県の染工房の老舗でさえ、藍の葉の収穫が思わしくない年は、遠慮して、欲しい量より少なく注文すると話していた。

できた染料「スクモ」はこのような叺(かます)と呼ばれる袋に入って運ばれる。1叺が1俵。

(*5)1978年に「阿波藍製造技術保存会」が設立され、「阿波藍製造」の技術保存団体として認定される。保存会の会員、つまり技術保有者は4名(うち上板町2名・石井町1名・徳島市1名)。ほか認定会員ではないが阿波藍を製造している工房が1軒あるため、4〜5軒と表記。明治29年発行の「徳島県藍商繁栄見立一覧表」には426人の藍商の名前が記載されている。一軒の藍商が何人もの藍師の製造する阿波藍を販売していたため、藍師の数はもっと多かった。『阿波藍』(川人美洋子)より。

“伝統”を守る力が、藍師を“権威”化する方向に?

需要はあるのに、藍師が増えない。その根底には、スクモづくりが、ただの産業ではなく、保存を目的に登録された「伝統保存技術」であることが一つの問題点なのだとわかってきた。

「藍師さんなど伝統を守る人たちが居たおかげで、徳島の藍のブランドが守られてきたことは確かです。でも伝統を守ろうとする力が強すぎる、という面はあると思います。『藍の世界は保守的で面倒』と感じる人は今でも多いかもしれません」(吉原さん)

「徳島県立農林水産総合技術支援センター」の研究員、吉原均さん(2024年4月より徳島県庁勤務)

伝統を守ることに固執して、新しいことにチャレンジせず、思考停止しているような面があるというのだ。

本場・徳島の藍師のスクモ「阿波藍」を使うと付加価値となり、最終製品が原料のスクモの10〜15倍の値段になることもある。「阿波藍」という、国のお墨付きを得た技術保有者は周囲にとって大切な存在。そこへ過剰な忖度がはたらくと、藍師の権益をおびやかす新しいトライや研究開発は行われにくくなる。

本人が望むと望まないとに関わらず、「藍師」は“権威”のように扱われてしまっているのかもしれない。徳島で藍に関わる人たちから話を聞いていると、そう感じる場面に何度か出くわした。藍を発展させていく上での問題は何かという話の核心に近づくと、みな奥歯にものがはさまったような物言いをするのだ。

誤解してほしくないのは、藍師本人から権威的な態度を感じたという意味ではない。スクモをつくっても儲からない時代から「待っているお客さんがいるから」と必死で農業と兼業して藍の仕事を続けてきた実直な方々である。

だが一方で、周囲の人たちにとっても、新しい手法を取り入れて競争が起きたり、新規参入者に荒らされたりしては困る。そういった意識から守られた世界になり、新しい挑戦が行われず産業として停滞した状態が続いてきたのかもしれない。

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 第3回

プロフィール

甲斐かおり

フリーライター。長崎県生まれ。会社員を経て、2010年に独立。日本各地を取材し、食やものづくり、地域コミュニティ、農業などの分野で昔の日本の暮らしや大量生産大量消費から離れた価値観で生きる人びとの活動、ライフスタイル、人物ルポを雑誌やウェブに寄稿している。Yahoo!ニュース個人「小さな単位から始める、新しいローカル」。ダイヤモンド・オンライン「地方で生きる、ニューノーマルな暮らし方」。主な著書に『ほどよい量をつくる』(インプレス・2019年)『暮らしをつくる~ものづくり作家に学ぶ、これからの生き方』(技術評論社・2017年)

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