6 山本太郎が演じる「場違いな男」
ところで、ぼくが今回『バトル』を見直す中で、一番面白いポイントだと思ったのは、山本太郎が演じる川田章吾というキャラクターだった。なぜ『バトル』では普通の「サヴァイヴ」思考とは違った「後ろ向き」な姿勢が描かれるのかを考えたとき、この川田というキャラクターにその理由が垣間見える気がした。
ここからは、川田がどういうキャラクターなのか、さらに深作欣二が『バトル』以前の監督作品でどのような人物たちを描いてきたのかを振り返り、「後ろ向きな」姿勢が描かれるその理由に迫っていきたい。
『バトル』を見ていて、この映画には何か変なところがあるな、と思える点として、映画の主役が秋也と典子という男女のカップルなのに、実際はかれら二人を手助けする助っ人的な役回りの川田の方が活躍し、目立っていることがある。
川田は、主人公たちと同じ3年B組の生徒ではなく、じつは3年前に行われた「バトル・ロワイアル」の優勝者であり、今回の戦いには強制的に参加させられた青年だ(ちなみに以前のゲームの優勝者としてはもうひとり安藤政信演じる桐山和雄という青年も登場し、こちらは主人公たちと対立する)。
この川田は、途中負傷した典子のケガの手当てを手伝ったことがきっかけで以後主人公二人に協力するようになるのだが、二人の代わりに最後の強敵を倒してしまったり、食料を調達したり、はたまた脱出用の船の操縦までこなし、また人柄も快活で、オールマイティな人物として描かれる。ぼくは『バトル』を見ていて、「サヴァイヴ」がテーマの映画なのに、主人公たちにとってこんな都合のいい人物が登場してしまっていいのだろうか、と不思議な感じがし、また、この川田のどこか「場違い」な雰囲気が面白いと思えた。
しかし、じつは川田は、ある「後ろ向き」な姿勢を持ったキャラクターでもある。
それは、川田が過去の「バトル・ロワイアル」で終盤まで恋人の慶子(美波)を守り抜こうとしたが、最後タイムリミットが迫ったとき、彼女から銃で撃たれ、川田がとっさに撃ち返すと、それが致命傷になり、彼女は最後に川田に笑顔を向け、息を引き取った。川田にはその笑顔の意味がわからず、今度こそ慶子の笑顔の本当の意味を知りたい、という意志をもっている、という事情である。
この「殺してしまった彼女の残した笑顔の意味を知りたい」という川田の目的は、高見広春の原作小説にはない設定で、先に書いてきた「死んでいく生徒たちの姿を追う」「限定された生を描く」といった要素と相まって、この映画版の「サヴァイヴ」への「後ろ向き」な姿勢を形作る重要なファクターになっていると思う。
ここでひとつ比較をしてみると、深作欣二の『バトル』は、川田という登場人物に着目すると、例えば評論家の宇野常寛が『ゼロ年代の想像力』(2011年、ハヤカワ文庫、初刊は2008年)という本で命名した「サヴァイヴ系」と呼ばれる、ある種の「サヴァイヴ感」を前面に出した同時代の作品群とは大きな違いを持つ映画だったことが分かる。
宇野は、2001年前後から、アメリカの同時多発テロ事件や日本でのネオリベラリズム的な「構造改革」路線、「格差社会」意識の浸透などにより、「サヴァイヴ感」とも言うべき感覚が社会に共有されはじめたという。そうした時代的な変化の中で、「自分の力で生き残る」というある種の「決断主義」的な傾向を持つ『サヴァイヴ感』を打ち出した作品があらわれたと論じた。具体的には深作欣二の『バトル』の原作小説である高見広春『バトル・ロワイアル』や大場つぐみと小畑健による漫画『DEATH NOTE』(2003-2006)、アニメ『コードギアス 反逆のルルーシュ』(2006)などが取り上げられた。
宇野が語った「サヴァイヴ系」の作品では、「決断主義」的な主人公が登場するとされているが、その例として挙げられた作品の主人公像をぼくなりに思い返すと、例えば自分で考えた戦略でもって相手に勝利する、という頭の回転が速い人物であるとか、自分だけは生き残ってみせる、というハングリー精神を持った人物が描かれる傾向にあると思う。けれど、一方深作欣二の『バトル』の川田は、戦略でもって相手をやりこめるタイプの人物ではないし、また、「(おれは)死なない」とは発言するものの、生き残ってみせる、などと宣言するまでのスタンスは見せず、視線はあくまで死んだ彼女の笑顔の意味を知りたい、また、主人公秋也と典子を助けてやりたい、という姿勢が目立つ人物だ。
同時代の似たようなテーマを描く作品のキャラクターたちと比べてみると、『バトル』では、川田が目立っているあたりに、「サヴァイヴ」を捉える上での異質な部分が際立って見えてくると思う。
【後編へ続く】
30歳を目前にして、やむなくスペインへ緊急脱出した若き文筆家は、帰国後、いわゆる肩書きや所属を持たない「なんでもない」人になった……。何者でもない視点だからこそ捉えられた映画や小説の姿を描く「『無職』の窓から世界を見る」、そして、物書きだった祖父の書庫で探索した「忘れられかけた」本や雑誌から世の中を見つめ直す「“祖父の書庫”探検記」。二本立ての新たな「はしっこ世界論」が幕を開ける。