9 『広島死闘篇』の二人の若者像
この戦後への深作の違和感について、もう一歩踏み込むとさらに面白い点がある。
それは、どうやらこの違和感は、戦争を経験した人たち、もしくは戦争の死者や戦時中の出来事といった過去を引きずる世代だけが感じるものではなかったんじゃないか、ということだ。
もっと言うと、深作が持った戦後への違和感は、いまの時代に生きるぼくたちが日本の社会に対して感じる違和感ともどこかつながっているものだろう、と思える部分がある。
「仁義なき戦い」シリーズ2作目の名高い『仁義なき戦い 広島死闘篇』(1973)には、二人の若いヤクザの主人公が登場し、戦後の若者同士の対立が描かれる。
ひとりは北大路欣也が演じる山中正治、もうひとりは千葉真一が演じる大友勝利だ。山中は年齢が若かったため特攻隊に行けず、戦後死に場所を求めて広島のヤクザ村岡組に入る、暗い影を引きずった人物だ。一方、大友は、テキ屋の大友連合会会長の息子で、自分のやりたいように好きなことをやってやるぞという姿勢を持つ、凶暴なおさえのきかない青年として描かれる。
深作はインタビューで、前者の山中は、「仁義なき戦い」シリーズの脚本家で深作より3歳年上であり、海兵団に入っていた経験を持つ笠原和夫の情感が込められた人物であり、一方深作自身は後者の大友のほうに「ビンビンくる」と語っている。
ぼくにとって興味深いのは、『広島死闘篇』では、山中は戦争の記憶を背負う人物として戦後に適応できずに死ぬ、いわば1954年の最初の『ゴジラ』(監督:本多猪四郎)で描かれた戦争の影を引きずる芹沢博士とゴジラの一対のような、ある意味で分かりやすいキャラクターなのだが、一方で「好きなことをやるぞ」という一見ただの「戦後の若者」に見える大友は大成するかと思いきや、そうはならないことである。結局山中は自殺し、大友の方も逮捕され、かれらの父親世代の「大人たち」が最後山中の葬式で余裕の態度で世間話をしたりする姿が描かれる。
深作の「サヴァイヴ」についてもうひとつ重要と思える点は、つねに金や権力を握り、立場や主張をコロコロ変えて生き延びる年長世代の「大人」たちが若者を利用し、殺し合わせる、という世代間対立の要素が含まれていることだ。
これと似た展開は、『仁義なき戦い』の1作目にもあり、若者たちを利用して殺し合わせる組長の山守義雄(金子信雄)に対して、「したいことが自由にできる組」を作ろうと独立する坂井鉄也(松方弘樹)という若いヤクザが勢力を急拡大するのだが、結局坂井は老獪な山守に殺されてしまう。
こうしたとくに戦争の記憶を背負うわけでもない、大友勝利や坂井鉄也のような「やりたいことをやろう」という戦後型の普通の若者たちがなぜかうまくいかない姿が描かれることからは、深作が語った戦後への違和感とは、戦争の記憶を引きずる世代だけが持つ違和感としてではなく、戦後に生まれた人たちにまでつながるものであったと受け取れる気がした。
深作が戦後に対して抱いた違和感をぼくなりにかみくだくと、それは、そもそも戦後社会は、個人がやりたいことをやろう、自由にやろうとしても、それが本当の意味では叶わない空間なんじゃないか、結局立場や主張をコロコロ変え、時代の変化に順応し、若者たちを利用する老人たちが金や権力を握って勝利する、その状況は戦時中とまったく変わってないじゃないか、と、こういう問題提起を含む感覚だったのだと思える。
深作映画の中で「サヴァイヴ」が生じる要因としての「時代・社会の変化」が、戦後への違和感に根差したものだと考えると、ぼくには、深作にとって「サヴァイヴ」とは、昔から存在した根が深い問題として捉えられていたんじゃないか、と思えた。
なぜ『バトル』で「サヴァイヴ」を「後ろ向き」に描く姿勢があるかといえば、それは、「サヴァイヴ」が以前から繰り返されてきた問題であり、すでにその中で多くの人がつぶされている、だから自分だけは生き残る、ではなく、死んでしまった、もしくは自分が殺してしまった人たちのことを振り返らなければ、という考えがあったのだと思う。
30歳を目前にして、やむなくスペインへ緊急脱出した若き文筆家は、帰国後、いわゆる肩書きや所属を持たない「なんでもない」人になった……。何者でもない視点だからこそ捉えられた映画や小説の姿を描く「『無職』の窓から世界を見る」、そして、物書きだった祖父の書庫で探索した「忘れられかけた」本や雑誌から世の中を見つめ直す「“祖父の書庫”探検記」。二本立ての新たな「はしっこ世界論」が幕を開ける。