はしっこ世界論 「無職」の窓から世界を見る 第2回【後編】

もうサヴァイヴしない

───深作欣二監督『バトル・ロワイアル』をいま見る
飯田朔

 

10 抵抗の手がかり───柴咲コウの相馬光子

 

 じゃあ「サヴァイヴ」をこういう息の長い問題として捉えたとき、人はそれにどう抵抗していくことができるのか。そのヒントを『バトル』と他の深作作品をもとに最後に考えてみたい。

 今回『バトル』を見て山本太郎の川田の他にもうひとり印象に残った登場人物がいる。それは、柴咲コウが演じた相馬光子という女子生徒だ。ぼくは、このキャラクターに「サヴァイヴ」への抵抗をどのように行うことができるかのヒントを読み取れる気がする。

柴咲コウが演じる相馬光子

 光子は、殺人ゲームに強制参加させられる中学生たちの中で、とくに好戦的で他の生徒を次々に殺していく少女だ。主人公典子の友人江藤恵(池田早矢加)をはじめ、男女とわず同級生たちを殺し、最後はべつの生徒から奇襲を受け、命を落とす。

 柴咲コウの演技は凄みがきいている。また、深作欣二の側もこういう人物造型に慣れているんじゃないかと思わせるものがあり、柴咲コウの演技は非常に板についている。例えば、光子が友好的な態度を装い、主人公典子の友人である恵をだまし、彼女の首に鎌の刃をつき立て殺す場面では、光子が自分は他の生徒のようにみじめに死にたくない、と大声で叫び、異様な迫力がみなぎっている。その一方、恵を殺した翌朝、光子は髪を水で洗い、何事もなかったように、平然とまつ毛の手入れをし、教師キタノが島中のマイクを通してどの生徒がリタイアしたかを読み上げる放送を聞き流している。

 とはいえ、この光子は、ただ単に戦略的で残酷な人物として、もしくはよくある「戦闘美少女」的なデフォルメされた人物として描かれているのではなくて、最後他の生徒から襲撃されるとき、まるでアメリカン・ニューシネマの主人公のように、一種の哀惜をもってその死が描かれていることに目を引かれる。

 光子は、より強力な武器を持つある生徒に襲われ、マシンガンと拳銃で何度も撃たれては立ち上がろうとするが、最後に「あたしただ奪う側にまわろうと思っただけよ」とつぶやき、息絶える。

『バトル』の再編集版『バトル・ロワイアル 特別編』(2001)では、光子が幼少期に母親が連れてきた男(諏訪太朗)から性的虐待を受けそうになる過去の場面が追加されているが、通常版ではとくに光子の凶行の背景は描かれていない。ともかく、このキャラクターは、何らかの点で「奪われる側」であった人物として登場しているわけで、「奪われる=みじめに死ぬ」側でいたくないというフラストレーションを強く持ち、だったら自分は「奪う側」に回ってやろうと、その激情をバネに他の生徒を殺していく、そのようなキャラクターだと受け取れる。

 なぜ『バトル』では、「後ろ向き」な姿勢を担う川田以外にも、この光子のような人物が異彩を放って見えるのだろうか。

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 「無職」の窓から世界を見る 第2回【前編】
“祖父の書庫”探検記 第2回  
はしっこ世界論

30歳を目前にして、やむなくスペインへ緊急脱出した若き文筆家は、帰国後、いわゆる肩書きや所属を持たない「なんでもない」人になった……。何者でもない視点だからこそ捉えられた映画や小説の姿を描く「『無職』の窓から世界を見る」、そして、物書きだった祖父の書庫で探索した「忘れられかけた」本や雑誌から世の中を見つめ直す「“祖父の書庫”探検記」。二本立ての新たな「はしっこ世界論」が幕を開ける。

プロフィール

飯田朔
塾講師、文筆家。1989年生まれ、東京出身。2012年、早稲田大学文化構想学部の表象・メディア論系を卒業。在学中に一時大学を登校拒否し、フリーペーパー「吉祥寺ダラダラ日記」を制作、中央線沿線のお店で配布。また他学部の文芸評論家の加藤典洋氏のゼミを聴講、批評の勉強をする。同年、映画美学校の「批評家養成ギブス」(第一期)を修了。2017年まで小さな学習塾で講師を続け、2018年から1年間、スペインのサラマンカの語学学校でスペイン語を勉強してきた。
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もうサヴァイヴしない