はしっこ世界論 “祖父の書庫”探検記 第1回

日本の「キュークツさ」から逃れるための3冊

飯田朔

 

100年前に日本脱出をした人たち───雑誌「思想の科学1978年7月号 主題 国境を越えた日本人」

 

 次に紹介するのは、100年前海外へ行った日本人についての文章を集めた、雑誌「思想の科学」の1978年7月号、特集「国境を越えた日本人」だ。

「思想の科学」は、哲学者の鶴見俊輔、政治学者の丸山眞男らが1946年に始めた雑誌で、96年に休刊。読者からの寄稿を重視し、読み手の中からあらたな書き手を見つけようとする、独特な方針を持つ雑誌だった。ぼくの同世代やそれより下の若い人たちには多分ほとんど知られていない雑誌だと勝手に思っているのだが、ぼくはこの雑誌のバックナンバーを読んでみたい、とずっと思ってきた。祖父の書庫の2階の奥に雑誌をそろえた棚があり、そこに「思想の科学」もあった。

 この号では、戦前に外国へ渡ったことがある日本の文化人について書かれた文章が集められ、プロレタリア作家の里村欣三、演出家の佐野碩、画家の林倭衛、作家の谷譲次、絵本作家の八島太郎についてのものが並ぶ。書き手としては、室謙二、岡村春彦、秋山清、津野海太郎などの名前が並ぶ。文化人の渡航といっても、それが学問や芸術にかかわる特別な留学といった「前向き」な観点からではなく、一人一人の人物がなぜ外国へ行ったか、行ってみてどうだったかが、その時代背景と共に各文章で淡々と書かれている印象を受ける。

 例えば、山崎昌夫「“谷譲次”とその周辺───長谷川四郎氏に聞く」では、林不忘の名義で『丹下左膳』の原作者として知られる小説家の谷譲次が戦前アメリカに渡った経験が書かれる。谷は、留学先のアメリカの大学から姿を消し、様々な仕事をして渡り歩く。ホットドッグ売り、料理店のウェイター、雑貨屋の下働き、ベル・ボーイ、山火事専門の消防隊員、農家の雑役夫…。そうした放浪を経て、日本に帰国後、かれは小説家となる。

 他には、東京芸大で軍事教練を拒否して放校され、ニューヨークへ渡り、戦時情報局に勤め、戦後アメリカで絵本のベストセラー作家になった八島太郎についての文章(津野海太郎「たたかう浦島太郎───八島太郎について」)が面白い。

 ぼくは、100年前にも、アナーキズムや社会主義にかかわりつつ、日本を出るこうした人たちがいたことに新鮮なものを感じた。各人物についての文章から伝わる、かれらの性格的な面でのイヤミのなさや日本での「生きづらさ」には率直に親近感を覚えるし、今ぼくの周りで日本に「キュークツさ」を感じて生きている友人の顔と重なったりもした。日本での息苦しさは、なにも最近始まったものではなく、根の深い問題なのかもしれない。

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 「無職」の窓から世界を見る 第1回
「無職」の窓から世界を見る 第2回【前編】  
はしっこ世界論

30歳を目前にして、やむなくスペインへ緊急脱出した若き文筆家は、帰国後、いわゆる肩書きや所属を持たない「なんでもない」人になった……。何者でもない視点だからこそ捉えられた映画や小説の姿を描く「『無職』の窓から世界を見る」、そして、物書きだった祖父の書庫で探索した「忘れられかけた」本や雑誌から世の中を見つめ直す「“祖父の書庫”探検記」。二本立ての新たな「はしっこ世界論」が幕を開ける。

プロフィール

飯田朔
塾講師、文筆家。1989年生まれ、東京出身。2012年、早稲田大学文化構想学部の表象・メディア論系を卒業。在学中に一時大学を登校拒否し、フリーペーパー「吉祥寺ダラダラ日記」を制作、中央線沿線のお店で配布。また他学部の文芸評論家の加藤典洋氏のゼミを聴講、批評の勉強をする。同年、映画美学校の「批評家養成ギブス」(第一期)を修了。2017年まで小さな学習塾で講師を続け、2018年から1年間、スペインのサラマンカの語学学校でスペイン語を勉強してきた。
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日本の「キュークツさ」から逃れるための3冊