おわりに
祖父の書庫で本を整理したり、その合間にボンヤリ考え事をしたりして時間を過ごしていると、自分が探偵とか、もしくは何かの遺跡の発掘作業員になったかのような気分になる。
3冊の本は、意外にも今振り返るとそれぞれにしっくりくるものがあった。意外にも、というのは、書かれた年代が古いから今読むとチグハグな印象を受けるかもしれないとも思っていたからだ。けれど、実際にはそういうことはなく、SNSではあまり目にすることのない色々な言葉や出来事を知ることができた。1950年代のスペインの差別や貧困、100年前日本を出ていった人たちの経験、「もうひとつの日本」を考える「ヤポネシア」という言葉…。
ぼくはこの文章の途中で、日本でライトが持つようなクリアな視点と出会うことが少ないのは、なぜなのだろう、と書いたが、それは、日本には一種の呪縛のようなモヤモヤした、視界をぼやけさせるものがあり、人がライトのようなクリアな視点を持つことを邪魔しているからではないかと思う。
今日本で周りを見渡すと、若い人たちの中には、ここで頑張らないと、自分はどうしようもない、と張り詰めた感覚を持って勉強をしたり、仕事をしたりしている人が多くいる気がする。「日本を出る」とか「もうひとつの日本」とかいった発想自体を持ったことがない人もいるだろう。
今回読んだ3冊の本は、「ここ」とは別の選択肢もある、という視点を提示する内容であり、「ここしかないんだ」と人に思わせる、呪縛のような考えを解く手がかりになるかもしれない。
この先も書庫の発掘作業はつづく。
30歳を目前にして、やむなくスペインへ緊急脱出した若き文筆家は、帰国後、いわゆる肩書きや所属を持たない「なんでもない」人になった……。何者でもない視点だからこそ捉えられた映画や小説の姿を描く「『無職』の窓から世界を見る」、そして、物書きだった祖父の書庫で探索した「忘れられかけた」本や雑誌から世の中を見つめ直す「“祖父の書庫”探検記」。二本立ての新たな「はしっこ世界論」が幕を開ける。