現代社会と向き合うためのヒーロー論 第2回

法の外のヒーローたち|『ダークナイト』『真昼の決闘』

河野真太郎

孤立した正義

 逆に言えば、ケインは共同体の外側に出ることによってこそ、共同体の法をアップデートして守っている。言ってみればハドリーヴィルの秩序は自壊したのである。自己充足的な内部の法だけでは、町の秩序は守られなかった。であるから、ケインが共同体から放逐されることこそが、正義のために必要だったのである。

 私はこれが、差異をともなう円環構造と貴種流離譚という「型」を利用した、20世紀アメリカ的な「技」だと思う。つまり、正義とは共同体の外側に放逐された英雄によってこそもたらされるという「技」である。英雄とは、共同体の外側にいることによって法に変化をもたらす触媒なのだ。

 私はこれが、アメリカの国際政治的な自己認識に深く関係しているのではないかと考えている。つまり、いわゆる孤立主義である。国際政治には干渉しないというアメリカの孤立主義は第二次世界大戦をもって破られることにはなるのだが、文化的伝統は簡単に切断されるものではない。

 アメリカは「孤立した正義」を備えた存在なのであり、国際社会という共同体の外側で自分だけの正義を持っているからこそ新たな秩序をもたらすことができるのだ、という信念は、1950年代からは「新孤立主義」という名を与えられていた。『真昼の決闘』は、伝統的な孤立主義と20世紀後半の介入主義の矛盾を解消する「新孤立主義」の映画なのだ。

 さて、『ダークナイト』が現代版の『真昼の決闘』であることについて、もうそれほどの説明はいらないだろう。バットマンはゴッサム・シティの共同体の外部にいるからこそ、正義をもたらすことができる。

 「光の騎士」たるハービー・デントがジョーカーの策略にはまって闇に落ちてトゥーフェイスとなり、バットマンとの対決で命を落とした後、バットマンはジョーカーの陰謀を阻止するために、デント殺しの罪をかぶり、正義の闘士としてのデントの名誉を守る。

『ダークナイト』©2014 Warner Bros. Entertainment Inc.

 この結末はまさに、共同体の外部に放逐され、なおかつ自分だけで「孤立した正義」を守ることによってこそ共同体のアップデートの触媒になるという、『真昼の決闘』で確立されたヒーロー像の伝統にのっとったものになっているのだ。

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現代社会と向き合うためのヒーロー論

MCU、DC映画、ウルトラマン、仮面ライダーetc. ヒーローは流行り続け、ポップカルチャーの中心を担っている。だがポストフェミニズムである現在、ヒーローたちは奇妙な屈折なしでは存在を許されなくなった。そんなヒーローたちの現代の在り方を検討し、「ヒーローとは何か」を解明する。

プロフィール

河野真太郎

(こうの しんたろう)
1974年、山口県生まれ。専修大学国際コミュニケーション学部教授。専門はイギリス文学・文化および新自由主義の文化・社会。著書に『新しい声を聞くぼくたち』(講談社, 2022年)、『戦う姫、働く少女』(堀之内出版, 2017年)、翻訳にウェンディ・ブラウン著『新自由主義の廃墟で:真実の終わりと民主主義の未来』(みすず書房, 2022年)などがある。

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法の外のヒーローたち|『ダークナイト』『真昼の決闘』