多様性の時代に「悪」はどこにいるのか?|『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』「アベンジャーズ」シリーズ『エターナルズ』
『ドン・チードルのキャプテン・プラネット』とエコテロリスト・ヒーロー
このサノスの「エコロジー思想」をパロディ化したのが、コメディー番組制作スタジオのファニー・オア・ダイが制作した、『ドン・チードルのキャプテン・プラネット(原題はCaptain Planet with Don Cheadle)』である。数分ずつで4回というこの短いシリーズは、まずは1990年から96年までアメリカでテレビ放映されたアニメシリーズ『キャプテン・プラネット』のパロディである(日本では第1シーズンのみテレビ朝日が放映)。
『キャプテン・プラネット』では、現代によみがえった女神ガイアが、地球の環境破壊を憂えて、大地・風・火・水・心のパワーを秘めた指輪を五人の地球人に授ける。この五つの指輪を合わせると、キャプテン・プラネットが出現し、彼は環境を破壊するヴィランたち(その領袖はキャプテン・ポリューション)を倒すのである。このシリーズは、環境・社会問題を解決するには何ができるかを考えるセッションが毎回付加されており、真面目な教育的なものだったと言える。ついでに言えば、五人の地球人はアフリカ、北米、東欧、アジア、南米系で、民族的多様性も確保されているところがポイントである。
さて、『ドン・チードルのキャプテン・プラネット』は、タイトルの通り、『アイアンマン2』からウォーマシン役を演じたドン・チードルが主演であるが、こちらのキャプテン・プラネットは五人の地球人から指輪を奪い、暴走し始める。怪光線で人間という人間を次々に木に変えていく。ヒーローがエコテロリストに変貌してしまうのである。
最終回では、キャプテン・プラネットの天敵がキツツキであることが判明する。最終的にキャプテン・プラネットは多数のキツツキにつつかれて死ぬ。木にされてしまった人びとは元に戻り、従来通りに車に乗るなどの生活に戻っていく。最後のショットでは、青い地球が汚染されてしだいに灰色になっていく……。全体としては、真剣な環境保護主義の立場からすれば悪意に満ちたパロディに見えるものの、最後の皮肉はなかなかに刺さるものがある。
プロダクションのウェブページによればこのシリーズは2017年から2020年にかけて制作されているので、『インフィニティ・ウォー』がどれだけ意識されているのかは検証不可能である。だが、結果としてこのパロディ番組は『キャプテン・プラネット』だけではなく『インフィニティ・ウォー』のパロディにもなっている。人間がいなくなることが最高のエコロジーだというサノスの思想を、グロテスクにパロディ化してみせていると見ることもできるのだ。
さて、そのサノスであるが、『インフィニティ・ウォー』ではみごとアベンジャーズに打ち勝って、生命を半分消去するという使命を達成する。ところが、続編で完結編の『アベンジャーズ/エンドゲーム』では、『インフィニティ・ウォー』の危険なサノスはどこかへ行ってしまう。地球のヒーローたちとの対決に至って彼は、生命の半分を消してもそれに抵抗する者たちがいるなら、現在の宇宙を原子にいたるまでバラバラにして、別の宇宙を新しく作ると言う。その宇宙は幸福な生命に満ちあふれているだろうと。
さらには、彼はこれまでは大義のためだったが、いまや地球の破壊を「楽しむ」とまで言う。すっかりひねりのないヴィランになってしまう。だが、このサノスの豹変には興味深い別の解釈もあり得る。それを考えるために、多様性から環境問題へ、という問題系をみごとになぞる作品『エターナルズ』を見てみよう。
MCU、DC映画、ウルトラマン、仮面ライダーetc. ヒーローは流行り続け、ポップカルチャーの中心を担っている。だがポストフェミニズムである現在、ヒーローたちは奇妙な屈折なしでは存在を許されなくなった。そんなヒーローたちの現代の在り方を検討し、「ヒーローとは何か」を解明する。
プロフィール
(こうの しんたろう)
1974年、山口県生まれ。専修大学国際コミュニケーション学部教授。専門はイギリス文学・文化および新自由主義の文化・社会。著書に『新しい声を聞くぼくたち』(講談社, 2022年)、『戦う姫、働く少女』(堀之内出版, 2017年)、翻訳にウェンディ・ブラウン著『新自由主義の廃墟で:真実の終わりと民主主義の未来』(みすず書房, 2022年)などがある。