被爆者の子どもに生まれて ルポ 被爆二世 第2回

逃げちゃいけないと思いながらも……

小山 美砂(こやま みさ)

「被爆者の子ども」からは逃げられない 感じる宿命

 食欲旺盛で、支局にスペアリブを差し入れてくれたこともある父の勝眞さんが末期の肝臓がんと診断されたのは2023年1月12日。年末から食欲が落ち込んできたことを心配していたが、検査を受けるとがん細胞は、胃をも侵していた。3週間後の2月1日夜、病院から「血圧が大きく下がってきた」との電話を受けて宇城さんは急行したが、すでに父の息は止まっていた。膝から崩れ落ち、同じく病院に向かっていた母の壽賀子さんに「すまない。親父を一人で逝かせてしまった、すまない」と、泣きながら電話をかけた。あまりにも早い旅立ちに、心の準備ができているはずもなかった。

 勝眞さんが亡くなった後、役所でまず聞かれたことの一つが「被爆者手帳はお持ちですか」、だった。手当の支給停止や葬祭料の給付など、さまざまな手続きが必要なためだ。手帳は返還しなければならないが、「父親が生きた証として手元に置いておきたい」と言うと、「返還処理済」との印を押して戻してくれた。その中には、「被爆の場所」として「安佐郡祇園町」「爆心地から4.1キロメートル」とある。酒を飲まなかった父が、肝臓がんで亡くなった。「原爆もあるんかなあ、と頭によぎる。そういうことを思わされること自体が腹立たしいよね」と、宇城さんは言う。

「返還処理済」との印鑑が押された勝眞さんの被爆者健康手帳=2023年10月28日、広島市安佐南区で山田尚弘撮影

 この年の8月6日は、広島市の平和記念公園で開かれる式典で、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と彫られた原爆慰霊碑に、勝眞さんの名も記された死没者名簿が納められた。宇城さんは取材のため式典会場にいたが、終了後に記者証を外して慰霊碑に手を合わせた。

 11月には壽賀子さんも長い闘病の末に逝き、宇城さんは一家の中で、被爆体験の継承を担う筆頭となった。以前よりも強く、記憶を受け継ぐ重要性を感じている。

「一つひとつの家族のストーリーなんて、歴史の中に埋もれてしまう。戦後どれだけ取材していると言っても、被爆した何十万という人の話を聞き取れているはずがない。少なくともうちの家族の原爆史は、俺が何かの形で記録しないと残らない。断片的な家族史の集合体が、街の歴史であり広島の復興史だと思う。俺が書きたいのは、原爆というよりも『広島』。もともと海だった場所が埋め立てられて400年前に城下町として発展し、軍都として栄え、原爆が投下された。そして、その後の復興、今、未来がある。歴史の中で原爆を位置付けたい」

 近ごろは、このことを自身の「宿命」とも感じている。

「自分では被爆二世という言葉を使いたくないけど、被爆者の子どもだという現実からは絶対に逃げるわけにはいかないのよ。そんな中、アウシュヴィッツで頭をかち割られるような経験をして、原爆報道に携わり始めて、今も続けてる。宿命としか思えない。逃げたらダメなんだと思う」

宇城昇さん=2023年10月28日、広島市安佐南区で山田尚弘撮影

 被爆者の子どもという事実からは逃げることができないし、向き合うことを自分に課している。だが、被爆二世の健康影響や援護について書こうとすると、行き詰まってしまう。宇城さんは記者として、そして当事者としての葛藤や思いを話してくれた。書いたことについて語るよりも、「今は書かない」ことについて語ることの方が、困難を伴うものだと私は思う。書かないことの責任を追及されうるからで、「逃げられない」と感じているならなおさらだ。

 しかし、宇城さんは語ってくれた。被爆二世というテーマが「難しい」と感じる理由の1つが、この中にあった。それは、遺伝的影響の可能性を訴えて援護を求める人たちと、原爆による影響は「ない」との結論を期待する人たち――同じ「被爆二世」でも、人によって全く異なる思いを抱いている。宇城さんは取材者として前者の訴えに理解を示しつつ、当事者としては遺伝的影響が「ない」ことを望んでいた。そして、科学の限界も認識している。

 宇城さんの話を改めて聞き、私はある被爆二世の言葉を思い出した。「遺伝的影響があると言っても怒られる、ないと言っても怒られる」。何を、どのように書いたとしても、誰かを傷つけることになるのではないか。誰かの歩みや苦しみを否定し、踏みにじることになるのではないか。

 それでも宇城さんは、「小山が被爆二世を取材するのは、どんどんやってほしいと思うよ」と背中を押してくれた。できるだけ多くの被爆二世に会ってみたら、というのも彼の助言だ。

 私自身も、このテーマの難しさに直面していた。ではなぜ、援護を求めて運動を続けてきた人たちは、その覚悟を持つことができたのだろうか。次回は、「被爆二世」としての人生を積極的に受け入れ、運動を展開してきた人に話を聞いてみたい。

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(次回は5月中旬更新予定です

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被爆者の子どもに生まれて ルポ 被爆二世

広島・長崎に投下された原子爆弾の被害者を親にもつ「被爆二世」。彼らの存在は人間が原爆を生き延び、命をつなげた証でもある。終戦から80年を目前とする今、その一人ひとりの話に耳を傾け、被爆二世“自身”が生きた戦後に焦点をあてる。気鋭のジャーナリスト、小山美砂による渾身の最新ルポ!

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「黒い雨」訴訟

プロフィール

小山 美砂(こやま みさ)

ジャーナリスト

1994年生まれ。2017年、毎日新聞に入社し、希望した広島支局へ配属。被爆者や原発関連訴訟の他、2019年以降は原爆投下後に降った「黒い雨」に関する取材に注力した。2022年7月、「黒い雨被爆者」が切り捨てられてきた戦後を記録したノンフィクション『「黒い雨」訴訟』(集英社新書)を刊行し、優れたジャーナリズム作品を顕彰する第66回JCJ賞を受賞した。大阪社会部を経て、2023年からフリー。広島を拠点に、原爆被害の取材を続けている。

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