「客観的に見られなくなる最たる問題」 取材からも距離を置く
「遺伝的影響は、客観的に見られなくなる最たる問題。影響がない方がうれしいわけよ、自分としては。今更『ある』と言われても、ちょっと待ってよとうろたえると思う。だけど、被爆二世への医療保障を求める裁判では、影響を認めて援護してほしい、という主張になる。そうすると、『影響があった方がいいの?』って、考え込んでしまう」
科学環境部でアスベストの被害などを報じてきた宇城さんはさらに、「科学」の限界も認識している。
「影響を『否定できない』というのは、影響が『認められる』という意味ではない。結局、その時点での科学水準でしか調査結果を得ることができず、10年、20年たったら別のことがわかるかも知れない、ということ」
確かに歴史を振り返ってみると、原爆が投下された1945年当時は、DNAの構造も解明されていなかった。放影研は2024年2月、被爆二世への健康影響を調べるゲノム解析の研究計画を明らかにしたが、宇城さんは「自分が被爆二世問題を取材していた2000年代の始めには、ゲノム解析がこんなに進むなんて思ってなかった」と振り返る。「となると、どこまでも結論が出ない話じゃないか、と。そんなもんと一生付き合わなあかんのか、という気はする。ずっと調査される対象であり続けることは、極めて不快」
新聞記事は、事実を正確に伝えるためにも客観的であるべきだ。しかし、被爆二世というテーマについては当事者として主観が入らざるを得ない。後輩記者を指導する立場になってからは、この取材とは距離を置くようになった。
「今後の調査がどう進んでいくのか。関心はあるし、調査も続けるべきだと思う。でも、何か見つかるんじゃないかっていう、嫌な気持ちがある。自分は不安なく生きてるから『もうええんちゃうか』という気持ちも否定できない。どうしてもバイアスがかかってしまうので、上に立つならば手が出せないな、と判断した。逃げちゃいけないと思いながらも、今は書かない。時間を置いてる感じかな」
原稿中で用いてきた「被爆2世」との言葉も、使うことをやめた。「被爆二世ということを前面に出して継承のことを書かれると、そうでなくても活動している自分たちと壁をつくられているようで嫌だ」という意見を、平和運動に携わる読者から受け取ったからだ。後輩記者が「被爆二世」から話を聞いてきた時に、家族の誰がどのように被爆したのか、取材できていないこともあった。「被爆二世という言葉が印籠のようになっている」。宇城さんは原稿で、必ず「祖母と父が被爆した」と書く。その方がより具体的に<事実>が伝わる、と思うからだった。
広島・長崎に投下された原子爆弾の被害者を親にもつ「被爆二世」。彼らの存在は人間が原爆を生き延び、命をつなげた証でもある。終戦から80年を目前とする今、その一人ひとりの話に耳を傾け、被爆二世“自身”が生きた戦後に焦点をあてる。気鋭のジャーナリスト、小山美砂による渾身の最新ルポ!
プロフィール
ジャーナリスト
1994年生まれ。2017年、毎日新聞に入社し、希望した広島支局へ配属。被爆者や原発関連訴訟の他、2019年以降は原爆投下後に降った「黒い雨」に関する取材に注力した。2022年7月、「黒い雨被爆者」が切り捨てられてきた戦後を記録したノンフィクション『「黒い雨」訴訟』(集英社新書)を刊行し、優れたジャーナリズム作品を顕彰する第66回JCJ賞を受賞した。大阪社会部を経て、2023年からフリー。広島を拠点に、原爆被害の取材を続けている。