実家も、安息の地ではなく
実家では、母親が寝たきりの状態だった。父と姉の3人暮らしに急遽、乳児と真希さんが加わったことで、不協和音が生じた。姉は美容師という激務ゆえ、夜はゆっくり休みたい。なのに、夜泣きで眠れないと訴え、父もイライラを隠さない。
「私は実家が天国ではなかったし、夫の実家よりはマシというだけ。早く出て行かないと、という思いはありましたが、3ヶ月の子どもを抱えていては身動きが取れなくて、結局、1年ぐらい実家にいて、近くのアパートに引っ越しました」
引っ越し費用は、一ヶ月約4万円の児童扶養手当を貯めて捻出した。しかし、働こうにも保育園には入れない。今から16年ほど前からすでに、保育園の待機児童問題が起きていたのだ。
「母子家庭だと言っても、ダメでした。保育園って働いていないと申し込めなくて、でも働き始めるには保育園に子どもを預けていないと働けない。これって、本当に矛盾しています」
今でもよく聞かれる、母親たちの悲鳴だ。この状況は、私が保育園を利用していた30年前と何ら変わらない。30年も問題を先送りしているとは、保育行政の怠慢と言えるのではないか。
「どうしようもないので、民間の24時間営業の託児所に入れて、働き始めました。短時間でお金を稼げるので、夜の仕事にしました。キャバクラです。時給は、2000円か2500円ぐらい。週4から週5はやっていました」
子どもを夕方の6時に保育園に預けて仕事に行き、お店の車で迎えに行くのは夜中の3時。自宅に戻り、3時半に就寝。朝7時には子どもが起きるので、朝食を作ったり、洗濯をしたり、子どもと遊んだりして過ごし、夕方に保育園という繰り返し。真希さんは睡眠時間3〜4時間という日々を過ごす。
「託児所で夜ご飯を食べるので、保育料は月10万円にもなって、家賃と光熱費が合わせて10万円。これだけで20万円が飛びます。食費に子どものオムツ代とかおもちゃ代とかかかるので、大体、月に20万から30万ぐらいを稼いでいたと思います。ここに月に換算すると、4万ほどの児童扶養手当が加わります」
夜の仕事とはいえ、ギリギリの暮らしだ。経済面だけでなく身体的にも、これでもつはずがない。3ヶ月後に、家庭保育室という認可保育所が使えるようになった。保育者の自宅で、複数の子どもを預かるもので、日中、ここに子どもを預けて、真希さんは睡眠時間を確保した。
「もう、子どもとほとんど接する時間がなくなって、やっぱり、3ヶ月ぐらい経ったら、子どもが保育所に行かなくなりました。それで、夜の仕事を辞めて、昼間の仕事を探したんですが……」
資格もなければ、職歴もない。1歳の子どもを抱えたシングルマザーに、社会はあまりにも冷たかった。
「小さな子どもがいるっていうだけで、断られました。たとえば、スーパーのパートでさえ、断られるんです」
一人で幼子を抱え、頑張って生きている女性を、この社会は突き放すことしかできないのか。程度の差はあれ、“女性活躍社会”を謳う今でも、変わっていない現実だ。
「母子家庭」という言葉に、どんなイメージを持つだろうか。シングルマザーが子育てを終えたあとのことにまで思いを致す読者は、必ずしも多くないのではないか。本連載では、シングルマザーを経験した女性たちがたどった様々な道程を、ノンフィクションライターの黒川祥子が紹介する。彼女たちの姿から見えてくる、この国の姿とは。