●第6グループの第一滑走者だった羽生。音楽が鳴って動き始め、ほんのひと蹴りふた蹴りした後のスケートの伸び、スピードの豊かさが、それまでのグループの選手たちとはちょっと次元が違うことに驚きます。
私にとって、会場でフィギュアスケートを観る何よりの楽しみは、ここにあります。エッジの深さや切り替えの鋭さなどは、全身が映る状態で動きを追い続けてくれるテレビのほうがしっかり見えますが、スケーティングのスピードや、「リンク全体をどのくらいの速さ、雄大さで使っているか」ということは、会場のほうがはるかに明確に伝わってくるのです。
グループごとの6分間練習も、グループがひとつ変わるごとに、選手たちのスケーティングが段違いになめらかになっていく。それを見るのも、会場観戦の醍醐味ですが、「やはり羽生結弦はその醍醐味を本当にクリアに味わわせてくれるスケーターだ」と再確認しました。
●4回転サルコー前のトランジション。左足を前にしたイナバウアーから、左右の足をなめらかに踏み替えつつターンしていく。そして今度は、右足を前にしたイナバウアー(私が座っていた席は、左右の足が平行に開いていたか前後に開いていたか、判別が難しい位置にありましたが、録画を確認したら前足のひざだけを曲げているのでイナバウアーと判断しました)から、左右の足をなめらかに踏み替えてターンを。そして4回転サルコーへ。実際には2回転になりましたが、
「エッジをピタッと決め、動かさないことで成り立つムーヴズ・イン・ザ・フィールドと、エッジをなめらかに切り替えしていくことで成立するステップの組み合わせ。それを2度繰り返す」
というジャンプ前のトランジションの密度、そしてその実施の精緻さにただただ驚くばかりです。
ジャンプ着氷時の右足のバックアウトサイドエッジをフォアアウトサイドエッジに切り替えるときのスムーズさ、そしてインサイドのイナバウアーにシームレスにつなげるスケーティング能力。
この「4回転の単独ジャンプの前後につけるトランジション」が、リンクの短辺をほとんど1往復半するほどの距離であることにも目を見張ります。
●非常にスピードがあり、距離も長いアウトサイドのイーグルからインサイドのイーグルへ。インサイドのイーグルへと変わる瞬間とピアノの音との同調性も素晴らしい。
そこから、徐々に降下していく音階が印象的な、ピアノの5つの音とエッジワークの厳密な調和(最後の5番目の音で、アームを上に。「音楽との同調は、上半身ではなくエッジワークを中心に」という「哲学」が見えてきます)。
そしてステップをつなげていき、カウンターからのトリプルアクセル、そして着氷後にシャープなツイズルへ。
トリプルアクセルを跳ぶ前のトランジション、「アウトサイドのイーグルからインサイドに切り替えたイーグル」から始まっている、と私は判断しています。
リンクの長辺部分を往復するほどの距離でおこない、かつ、「右足と左足、それぞれの片足滑走」「フォア(前向き)/バック(後ろ向き)」「インサイドエッジ/アウトサイドエッジ」を鮮やかに切り返していくエッジワークとムーヴズ・イン・ザ・フィールドをバランスよく配置したトランジション。
「音楽は何よりもエッジと融合すべき。エッジが音楽を最大限に拾っていくべき」という明確なプログラムの哲学と、それを可能にする技術、両方に裏打ちされた美しさだと思います。
『羽生結弦は助走をしない』に続き、羽生結弦とフィギュアスケートの世界を語り尽くす『羽生結弦は捧げていく』。本コラムでは『羽生結弦は捧げていく』でも書き切れなかったエッセイをお届けする。
プロフィール
エッセイスト。東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒業後、出版社で編集に携わる。著書に『羽生結弦は助走をしない 誰も書かなかったフィギュアの世界』『恋愛がらみ。不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』『愛は毒か 毒が愛か』など。