●そしてステップシークエンスへ。要素の実施順に感嘆した部分を記していきます。
■右足1本で回転系のエッジワークを続けていく。そのスピードとなめらかさ、そして距離の出方が圧倒的。
■半回転の小さなホップから、今度は「羽生にとって自然な回転の方向ではない、時計回りに回転していくエッジワーク」が続きますが、その回転も非常にスピードがあり、なめらか。もちろん距離も出ている。
■回転系のエッジワークから間髪入れずに、「フォア/バック」を鮮やかに切り返していくステップ。回転によってどうしても生まれてしまう遠心力が、エッジにまったく影響を与えていないことに驚きます。
■そこからすぐにハイドロブレーディングに入る、一連の動きの密度の高さ。
■バレエジャンプとアクセルジャンプをミックスしたようなジャンプも印象的(友人は「枯葉が枝から離れ、風に一瞬舞い上がるよう」と表現していました)。そのジャンプ後、非常に深い左足フォアのアウトサイドエッジで豊かなカーブを描きつつ、しかし上体はジャッジ席のほうにひねるように後方を向いている。この全身のバランスが生み出すニュアンスが、私個人は特に好きです。そこから足を踏み替え、右足のフォアからバックへとエッジを切り返すシャープさも素晴らしい。
■リンクの端から中央に戻りながらのステップは、左足1本で「フォア/バック」を切り返した後で、即座に円を描くようなターン。
●最後の要素、コンビネーションスピン。足を替えた後のパンケーキポジション、特にアームの動きに、この『Otonal』という曲を選んだ直接的な動機である、ジョニー・ウィアーの美しいスピンへのオマージュを感じました。
演技終了から得点が出るまでの間、会場の大型スクリーンには、羽生の演技のスローリプレイが流れ、リプレイ終盤には、演技終了の瞬間の羽生の表情がアップになって流れました。私が見る限り、怒りと悔しさがミックスされたような……。これはもちろん、自分自身に対する感情であったと思います。
冒頭のサルコーが2回転になったこと。トリプルアクセルやコンビネーションジャンプ(のトリプルトウ)の着氷も、羽生にとっては100%の出来とは言えなかったかもしれないこと。
そういった原因はもちろん考えられます。ただ、私としては、それ以上に「羽生結弦が『世界選手権とオリンピック、それぞれ2枚の金メダルを獲得』という結果を出した後でも、まだ競技の世界ですべてを出し尽くそうとしていること」に対する感嘆、感謝の気持ちのほうが大きかったのです。
大型スクリーンに映し出された羽生の表情に、「フリーでは、文字通り『すべて』を出し尽くそうとしてくるはず」と感じたのは、たぶん私だけではないはずです。そして、「その思いが実りますように」と感じたのも私だけではないと思います。
その予感は何十倍、何百倍ものスケールで実現することになるのですが、それはフリー編で詳述したいと思います。
『羽生結弦は助走をしない』に続き、羽生結弦とフィギュアスケートの世界を語り尽くす『羽生結弦は捧げていく』。本コラムでは『羽生結弦は捧げていく』でも書き切れなかったエッセイをお届けする。
プロフィール
エッセイスト。東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒業後、出版社で編集に携わる。著書に『羽生結弦は助走をしない 誰も書かなかったフィギュアの世界』『恋愛がらみ。不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』『愛は毒か 毒が愛か』など。