フィギュアスケートに限ったことではありませんが、世界を舞台に戦うアスリートの中で、ケガに苦しんだ経験がない選手を見つけるほうが難しいと思います。
世界レベルで戦っている人たち、世界レベルを目指そうとしている人たちが、体のことを気遣っていないわけはない。しかし、肉体の限界に挑むような鍛錬を続けている以上、ケガや故障はどうしてもつきまとってしまいます。
私はこれまで、体力的・肉体的に、のほほんとした生き方しかしてきていません。常にギリギリな状態で自分自身の体と向き合っている人々に対して、
「ケガが多いのは〇〇のせいだ」
といった言葉は、どうしても吐けません。ケガの原因や再発防止策、回復までの道すじといったことは、部外者の何千倍、何万倍も真剣に考え続けている人たちなのは明らかだからです。私にできるのはただ、「彼ら、彼女たちが向き合い続ける困難が、なるべく早く、なるべくくっきりと消えていくこと」だけです。
私は山本草太というスケーターの演技が大好きです。「本当に」を10回繰り返しても足りないほど、好きな選手のひとりです。
骨折からの長いリハビリを経て、2017年の全日本選手権の出場を目指した地区予選で、山本草太がプログラムに組み入れていたのはシングルジャンプでした。私はその演技のダイジェストをニュース番組で見ながら、
「ここに戻ってきてくれた」
と涙を流しました。
そして、全日本選手権のショートプログラム(2017 Nationals SP)ではトリプル・トリプルのコンビネーションジャンプと、トリプルループを見せてくれました。そのときは、
「ここまで戻してくれた」
と涙を流すことになりました。
2018年のNHK杯のショートプログラム(2018 NHK Trophy SP)では見事なトリプルアクセルを、そして同年の全日本選手権のフリー(2018 Nationals FS)では素晴らしい4回転トウを決めて見せました。
幸運にも現地で観戦できた全日本選手権のフリーの6分間練習では、トランジションをほとんど入れずに非常に余裕のある3回転トウを跳んでいましたから「これはもしかして、4回転トウに挑むためのウォームアップでは」という思いはありましたが、それを本番で決めてくれた瞬間は、ただただ拍手をするばかり。同時に、
「ここまでどんな道のりを歩いてきたのだろう」
と熱いものがこみあげてきたのを、今でもはっきり覚えています。
『羽生結弦は助走をしない』に続き、羽生結弦とフィギュアスケートの世界を語り尽くす『羽生結弦は捧げていく』。本コラムでは『羽生結弦は捧げていく』でも書き切れなかったエッセイをお届けする。
プロフィール
エッセイスト。東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒業後、出版社で編集に携わる。著書に『羽生結弦は助走をしない 誰も書かなかったフィギュアの世界』『恋愛がらみ。不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』『愛は毒か 毒が愛か』など。