はしっこ世界論 「無職」の窓から世界を見る 第3回【前編】

ちゃんと「おりる」思想

飯田朔

 

1 地に足をつける、とは何か──勝山実『安心ひきこもりライフ』

 

 この10年を実家で暮らしながら、よく考えたのは、自分のいまの立場は何なのか、ということだった。フリーランス、非正規雇用、フリーター、はたまたニート…? どういうわけかぼくの中で、完全にではないが一番しっくりくる言葉は「ひきこもり」だった。ぼくは本格的(?)に自分の部屋にだけこもった経験はないのだが、自分の中のいまの社会への違和感や抵抗感、家で過ごすときの落ち着き加減などを考えると、その言葉がまだしも合っているように思えるのである。

 「ひきこもり」について厚生労働省は、「仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6か月以上続けて自宅にひきこもっている状態」という定義を出している。けれどぼく自身、いくつかのひきこもりの当事者会に行った経験からすると、「ひきこもり」といっても、厚労省の定義などにとどまらない、色々なグラデーションがあり、人によって年齢も背景も違い、個人の中でも時期によって変化が起きるものだと感じる。だから、ここで言う「ひきこもり」は、いまの社会の働き方や人間関係に違和感があり、家にこもりがちな人、というくらいのざっくりした枠だと思ってもらいたい。

 さて、今回、話の出発点として取り上げたいのは、勝山実の『安心ひきこもりライフ』(2011年、太田出版)という本だ。

 これは高校3年生で不登校になり、以来現在まで約30年間ひきこもり生活を続け、いまは「ひきこもり名人」として知られる著者が書いたものである。ひきこもりになったばかりの若者から中年になってしまった層まで、幅広い世代のひきこもりたちに向け、就労したりして社会に適応する生き方ではなく、ひきこもりの本質を大事にして、自分なりに生きる、という別の道を提示した、(ひきこもり界的には)革命的な一冊として知られている。

 この本は、ひきこもりという存在を通して、いま社会の水面下で競争主義とは違った考え方が出てきていることを教えてくれる一冊だと思う。

 勝山実は、1971年生まれで、高校を中退したのちに大学受験に失敗し、20代のときに精神科へ行くといった過程を経る中でひきこもりの生活を送り始めた人だ。いまは「ひきこもり名人」として、講演や執筆だけでなく、家庭菜園をしたり、和歌山の奥地で自分用の小屋を作るなど、独自のペースで活動している。

 最初にこの本を読んで印象に残ったのは、勝山が世間でよく言われる“地に足をつける”とか“自立する”とは全然違った発想で、ひきこもりなりの、真に地に足をつけて生きる方法を模索していることだった。

 例えば、勝山は「ひきこもり土着主義」(実家主義)という考え方を出していて、ひきこもりが実家で暮らすことを肯定する。ひきこもりは現金収入が少なく、ひとり暮らしに挑戦しても、心身ともに疲弊し、結局実家に戻ってきてしまう。さらに、ひきこもりは人とのつながりがなくなり、人間関係の点から見ればすでに「ひとり暮らし」に近い状態で実家に暮らしているのだから、無理に家を出て自立しようとすることはない、という考え方だ。

 ぼく自身、稼げるようになって自立しないと、という焦りがある時期まではあったが、勝山の本を読んでからは、自分が生活していくために実家暮らしこそ必要なのだ、と捉えることができるようになり、非常に助けられた実感がある。とはいえ、最初この本を読んだときは、勝山の発想が、世間で言う“自立”とは全然違うのに、妙に地に足がついていると感じられることが不思議だった。こうした人の本を読んだりする中で、世間で言われている「成長」や「競争」の考え方が、本当の意味で現実を踏まえたものと言えるのだろうか、という疑問が深まっていった。

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 “祖父の書庫”探検記 第2回
「無職」の窓から世界を見る 第3回【後編】  
はしっこ世界論

30歳を目前にして、やむなくスペインへ緊急脱出した若き文筆家は、帰国後、いわゆる肩書きや所属を持たない「なんでもない」人になった……。何者でもない視点だからこそ捉えられた映画や小説の姿を描く「『無職』の窓から世界を見る」、そして、物書きだった祖父の書庫で探索した「忘れられかけた」本や雑誌から世の中を見つめ直す「“祖父の書庫”探検記」。二本立ての新たな「はしっこ世界論」が幕を開ける。

プロフィール

飯田朔
塾講師、文筆家。1989年生まれ、東京出身。2012年、早稲田大学文化構想学部の表象・メディア論系を卒業。在学中に一時大学を登校拒否し、フリーペーパー「吉祥寺ダラダラ日記」を制作、中央線沿線のお店で配布。また他学部の文芸評論家の加藤典洋氏のゼミを聴講、批評の勉強をする。同年、映画美学校の「批評家養成ギブス」(第一期)を修了。2017年まで小さな学習塾で講師を続け、2018年から1年間、スペインのサラマンカの語学学校でスペイン語を勉強してきた。
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