5 弱者が抱える競争主義
この本では、豊島が自分の持ってしまった勝ち負け主義を「相手ルール」と「自分ルール」という二つの言葉を使って分析しており、ぼくには、この分析の仕方が「生きなおす」と「生き残る」がどのような点で違っているかを考える手がかりになると思える。
ひとまず、『リベンジマニュアル』で書かれる、豊島が持ってしまった勝ち負け主義がどんなものだったのかを確認しておきたい。豊島は高校2年生のときに新しいクラスで孤立してしまい、次第にスクールカーストと呼ばれる生徒間のクラス内格差の影響で他の生徒から理不尽な扱いを受けるようになり、教室に通えず保健室登校を始める。さらに、学校側から黙って教室に来ること、「環境への適応」を求められ、「お前が弱いのが悪い」と言われているような意識を持つようになり、自信を失ってしまったという。
こうした経緯で、高校時代の豊島は次のように考えるようになる。
つまりすべてはスペックの問題。私がスペック低いのは事実で、蔑まれるのは仕方ない。嫌ならスペック上げろ。それも嫌ならいつまでも泣いてろ。
……というのが、大人たちの「気にするな」を受けて、高校生の私が導き出した結論でした。
『リベンジマニュアル』27頁
ここで言われているのは、「弱いのが悪い」それが世の中なのだから、スペック、つまり自分の性能=能力を上げるしかない、という考え方だ。ぼくがこれを読んで気づかされたのは、人が競争的な思考を持つとき、それは、必ずしも元から強者の立場にある人物が持つ弱肉強食のような価値観ではなく、豊島のように、学校空間で不当に傷つけられ、その上周囲の大人から見捨てられた状態の若者がやむを得ず持つようになる価値観であったりもする、ということだった。豊島個人の経験にすぎないと言ってしまえばそれまでなのだが、ぼくには、このあたりに、いまのサヴァイヴの問題を考える手がかりがあると思えた。
豊島のこうした勝ち負け主義は、大学在学中に作家としてデビューしてからも続き、その執筆姿勢に影響を及ぼしたと書かれている。それは、どんな形でかというと、彼女は、1冊目の本が売れず、それ以降は自分のしたいことを封印し、まずは「業界的正解」を目指すようになったのだという。
「業界的正解」を目指すとは何かというと、豊島は当初漫画を読んでいるような若い読者のために小説を書こうとしていたのだが、それでは売れなかったため、まずは小説を読んでいる層に売れるものにしなければいけない、と考えを変えたということだ。具体的には小説の雑誌を大量に読み、「小説として浮かない文体」を身につけるなど、自分自身で「擬態」と呼ぶテクニックを駆使して大学卒業までに4冊の本を出版した。豊島にとっては自分を偽っている状態であり、「自分を否定してくる人間は全員敵。それに勝たないと気が済まない」という思考が強化されていったと振り返っている。
つまり、豊島が持ってしまった勝ち負け主義とは、ただ単に敵に勝てばいい、というスタイルではなく、どういうわけか「業界的正解を目指す」とか、「擬態する」、「自分を偽る」といったことと結びつくものだった。
ともかく、豊島はその後、いくつかの重要な出来事を経る中で、精神的な危機とも言いうる状況を体験し、本人の言葉で言うところの「一度『死ぬ』こと」を通して、最終的に作家を「辞め」、故郷の実家に帰ることを決断している。
30歳を目前にして、やむなくスペインへ緊急脱出した若き文筆家は、帰国後、いわゆる肩書きや所属を持たない「なんでもない」人になった……。何者でもない視点だからこそ捉えられた映画や小説の姿を描く「『無職』の窓から世界を見る」、そして、物書きだった祖父の書庫で探索した「忘れられかけた」本や雑誌から世の中を見つめ直す「“祖父の書庫”探検記」。二本立ての新たな「はしっこ世界論」が幕を開ける。