4 なぜ「生きなおす」は「生き残る」と対立するのか──豊島ミホ『大きらいなやつがいる君のためのリベンジマニュアル』
では、いまの社会で「生きなおす」という考え方が水面下で現れてきているとして、それはどんな点で「生き残る」と違い、対立すると言えるのだろう。
ぼくは、この10年読んできた本の中でもうひとり、自分の人生の経験から勝山や道草と似た考え方を見出している人の本を読んだことがある。
それは、元作家の豊島ミホによる『大きらいなやつがいる君のためのリベンジマニュアル』(2015年、岩波ジュニア新書)だ。
この本を読むと、勝山と道草の本から見えた「生きなおす」という発想が、「社会的な『死』を経験した、その後」を見据えている点で「生き残る」発想と違っている、ということに加えて、もうひとつ別の点からも対立する要素があるんじゃないか、と思えた。ここからは、豊島の本を通して、「生きなおす」が「生き残る」と異なる、もうひとつの点について考えてみたい。
豊島ミホ(1982年生まれ)は、2002年から2009年まで作家として活動した人物で、青春小説を多く書いたことで知られている。豊島は、大学在学中に短編「青空チェリー」で「女による女のためのR-18文学賞」の読者賞を受賞したことから作家活動を始め、2009年に作家を辞め、その後2015年にこの『大きらいなやつがいる君のためのリベンジマニュアル』(以下『リベンジマニュアル』)を刊行した。ほかの著作には、映画化された小説『檸檬のころ』(2005)やエッセイ『底辺女子高生』(2006)などがある。
『リベンジマニュアル』は、主に若い読者へ向けた内容で、豊島が自身の高校時代にクラスメイトとの人間関係などで傷つけられ、「憎しみ」を長い間引きずってしまった経験について書かれている。豊島は、高校時代の経験が原因で、作家として仕事を始めてからも一種の勝ち負け主義的な考えを持ってしまう。この本は彼女がどうやってそういう考え方の限界を知り、別の生き方を模索するようになったかを振り返る内容になっている。
ぼくは大学生の頃豊島の小説をいくつか読み、不器用な若者の青春を描く作風に非常に好感を持っていたのだが、それから数年後この本を読んだところ、豊島がかつて自分が競争的な考え方を持っていたと告白する内容が書かれており、驚いた。また、そうした考え方と決別しようとする中で「作家を辞める」という大きな決断を下したことが書かれていて、いまの時代に物書きの仕事をする、ということについても考えさせられる、印象深い一冊だった。この本で語られていることは、学校教育や学校における人間関係のテーマだけでなく、いまの若い人の生き方やフリーランスの仕事をめぐる一種の切迫感、といったことまで考えさせられる。
『リベンジマニュアル』という物騒なタイトルがつけられているが、もちろん著者は暴力による復讐は否定しており、題名の「リベンジ」とは、いじめなどで不当に傷つけられた側が「やり返したい」と思うことそれ自体は否定されるべきではない、という豊島の考えから出てきている言葉だと思える。豊島は、この本の中で、いまの学校教育では傷つけられた子どもが周囲の大人から「気にするな」と言われ、一方的に環境への適応を求められがちであることについて問題提起しており、そういった認識を踏まえたタイトルになっている。
30歳を目前にして、やむなくスペインへ緊急脱出した若き文筆家は、帰国後、いわゆる肩書きや所属を持たない「なんでもない」人になった……。何者でもない視点だからこそ捉えられた映画や小説の姿を描く「『無職』の窓から世界を見る」、そして、物書きだった祖父の書庫で探索した「忘れられかけた」本や雑誌から世の中を見つめ直す「“祖父の書庫”探検記」。二本立ての新たな「はしっこ世界論」が幕を開ける。