3 レールからおりて、自分の人生をあゆむ──道草晴子『みちくさ日記』
勝山の本から垣間見える、競争主義を足元から崩す考え方とは、一体何なのだろう。
ここで、ひきこもりではないが、精神医療・福祉の現場を転々とした経験を描く、ある漫画家の作品を通して、考察を続けてみたい。その漫画とは、漫画家の道草晴子が自身の半生を描いた『みちくさ日記』(2015年、リイド社)という作品だ。この作品にも、いわば「大変なことになった、あとの状態」をどう生きるか、という問題意識が共有されていると思える。
『みちくさ日記』は、自伝的な内容の作品で、道草晴子(1983年生まれ)が13歳の時にちばてつや賞ヤング部門に応募し、優秀新人賞を受賞するも、14歳で精神的不調に陥ったことから精神科病院に入院し、以後「障がい者の社会ふっき」というレールに沿って様々な医療・福祉関係施設を転々とする経緯が4コマ形式で描かれる。
ぼく自身、大学不登校になってから、精神科や先にふれたひきこもりの当事者会、ピアサポートなど様々な場所へ足を運んだ時期があったのだが、この漫画では、主人公ハルコが様々な医療・福祉施設に足を踏み入れては、どこかズレた認知行動療法や職業訓練を受けさせられる描写があり、ぼく自身の経験とも重なった。『みちくさ日記』では、社会や行政が提供してくる障害者支援へ疑問が投げかけられていると思え、初めて読んだときは共感するところが非常に多かった。
勝山の『安心ひきこもりライフ』では、ひきこもりは行政などが提供する就労支援の道ではなく、ひきこもりなりの本質を大事にした生き方ができるんじゃないか、ということが書かれていたが、この『みちくさ日記』では、主人公ハルコが「障がい者の社会ふっき」というレールからおりて、自分の人生を歩みだすというまさに同じことが書かれている。
一応ことわっておくと、ぼく自身は、就労支援や職業体験が人によっては役立ち、日々の気持ちを支えるものになりうる、とは思っている。しかし、その一方で思うのは、いまはひきこもりや障害の当事者の方ばかりが社会に適応することを要求され、それが一種のプレッシャーになる状態が生じているということだ。ぼくは、勝山や道草が示す考え方は、そうした問題に取り組むものとして、大きな意義があると思う。
『みちくさ日記』でハルコは、デイケアや作業所を転々としながら29歳のときに、かつて病院で診断された統合失調症が誤診だったことを知り、大きなショックを受ける。今度は心理検査で発達障害と診断され、その後またデイケアに通い、輪投げなどの子ども向けのような作業療法をさせられたりする中で、「健常者とか 障がい者とか、もうつかれたなあ」と思うようになる。
この後、いくつかの出来事を経て、ハルコの考えに変化がおこる。ハルコがデイケアのある病院の中庭で寝ていると、ふと次のような考えがやってくる。
人生おわってしまったと思って 生きてきた
空を見上げて 青い空と白いくもがひろがり
すごく きれいだった
「もしかして もうなにも失うものないんじゃないかな?」と思った
『みちくさ日記』114頁
このとき、ハルコは「急に元気がわいて」きて、
守るべきものも もう何も ないな
と思ったら 生きるゆうきがわいてきて
「デイケアじゃなくて どこか学校とか行ってみようかな」と思った
(…)
障がい者の社会ふっきという レールじゃなく
自分の人生を 生きたいなあ
同前115頁
と感じるようになったと描かれる。その後ハルコは、デッサン教室に通いだしたり、カレー屋でアルバイトしたりするようになるのだ。
『みちくさ日記』のこのハルコの考えの変化にも、「人生おわってしまった」その後に「自分の人生」が存在していることが見出されている点で、ぼくには勝山の『安心ひきこもりライフ』と重なるものがあると思えた。
勝山と道草が書いていることからは、ひきこもりや、精神障害を診断された人たちが、「ひきこもりの就労支援」や「障害者の社会復帰」といった、社会から提示されるレールに適応する方法ではなく、自分の人生を自分の本質に根差した形で生きるという転換がおこなわれているように見える。
ぼくは、ここに競争主義とは違う、新しいものの考え方の“基本のかたち”が見えてくる気がする。
いまの世の中では「○○しないと大変なことになる」「生き残れないぞ」的な発想が当然視されているように思うが、ぼくはこの二人の本を読むと、「なんだ死んでないじゃないか」と思える。競争の世界から見ると、あたかも「負けて死んだ」ように思える人たちが、じつはちゃんと生き延びていて、それどころか自分なりの生き方を見出している。勝山と道草の本からは、そのような社会的な「死」、競争での敗北を経験した人たちが、その「死後」もう一度、今度は自分なりの方法で「生きなおそう」とする、新しい姿勢が現れていると思う。
こうしたいま現れてきている考え方は、一言で言うと、「一度死んで、生きなおす」発想だと言えるんじゃないか。「サヴァイヴ/生き残る」という発想の一方に、「生きなおす」という別の考え方が出現し、真っ向からぶつかるものになってきている。ぼくの頭の中には、このような二つのものの考え方がぶつかり合う構図が浮かんでくるのだ。
30歳を目前にして、やむなくスペインへ緊急脱出した若き文筆家は、帰国後、いわゆる肩書きや所属を持たない「なんでもない」人になった……。何者でもない視点だからこそ捉えられた映画や小説の姿を描く「『無職』の窓から世界を見る」、そして、物書きだった祖父の書庫で探索した「忘れられかけた」本や雑誌から世の中を見つめ直す「“祖父の書庫”探検記」。二本立ての新たな「はしっこ世界論」が幕を開ける。