はしっこ世界論 「無職」の窓から世界を見る 第3回【前編】

ちゃんと「おりる」思想

飯田朔

 

6 「相手ルール」から「自分ルール」へ

 

 注目したいのは、豊島がこのようなかつての自分が持っていた考え方を、「相手ルールで生きる」姿勢だったと振り返っていることだ。

 豊島は、この時期の自分は「まずは相手ルールで勝つ」以外の方法を見つけることができなかったのだと考える。「相手ルールで勝つ」とは、自分にとって「本当にやりたいこと」をいつか通すために、「先に『他人の価値観という枠の中で、自分の価値を上げる』」というアプローチのことだ。これはつまり、豊島の作家業でいうと、1冊目の小説が売れなかったため、自分のしたいことを封印し、まず「今、小説を読んでいる層」という他人の価値観で認められ、「勝者」になってからその後自分のしたいことをやろう、という理屈だ。

 豊島はこの本の中で、そうしたかつての自分の考えの中にあった危うさについて書くのだが、それをぼくなりにかみくだくと、相手ルールで生きる、という発想は、相手ルールで認められ、「勝者」になってから、後で自分のしたいこと=自分ルールに切り替える、という一見うまくいきそうなアイデアに見えるが、じつは、まず相手ルールを優先させてしまう過程で、本来大事にしようとしていた自分ルールを抑圧することになる、矛盾が潜在する考え方である、ということだと思う。

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③切り干し大根を作る

 豊島の文章で印象に残ったのは、豊島が「相手ルールで生きる」考え方の根底に一種のマッチョな部分が潜んでいることに気がついている、ということだった。豊島は、本の後半の第5章で、高校時代の経験をいま一度、今度は「自分ルール」で再解釈したうえで、こう呼びかけている。

 

 不当に傷つけられた時に、「でもこれこそが、世の中である」と思う必要はまったくないのです。

 それを採用するならば、自分が強者に回った時に、弱者に何をしてもいいことになるから。私がしたように、すべての人間関係を勝ち負けで見てしまうようになるからです。

同前153~154頁

 

 ここで、豊島のいう、不当に傷つけられたときに「これこそが、世の中」という発想を受け入れることとは、高校時代に他の生徒から不当な扱いを受け、傷つけられたのに、そのことに怒りきれなかった自分自身について言っている部分なのだが、これは、1冊目の本が売れなかったときに自分のしたいこと(自分ルール)を封印し、相手ルールで生きることに切り替えてしまった行動とも重なり合っている。

 豊島自身は、このような姿勢で作家業を続ける中で、いつまでも「主導権」が自分のもとにくるように思えず、周りの人たちのことも信用できず、精神的危機を迎えたわけだが、ぼくが豊島の文章を読んで思ったのは、いまの世の中に広がる競争主義=サヴァイヴ的な考え方は、「相手ルールで生きる」という、一見スマートで、理想的な装いをしながら多くの人に無意識に広がっているのかもしれない、ということだった。

 豊島は作家を辞めた後、ふたつのことを守って生きようと決めたと書いている。ひとつは、「『誰かのルール』に乗っからないこと」。もうひとつは、「自分がやりたいことを素直に、それからもう少し根気強くやること」だという。その結果豊島は田舎の実家に戻り、かつて夢に抱いていた漫画家になることを再び目指す。豊島が見せるこの転換も、先に見てきた勝山や道草の姿勢と通じるものがある。

 『リベンジマニュアル』からぼくが考えるのは、いまのサヴァイヴには、単なるわかりやすい競争主義としてではなく、「他人や社会の価値観で認められる」という、一見普通っぽい体裁を取って広がっている側面があり、しかしその根底には自分のペースや自分が素朴にやりたいことを抑圧する、一種の「内なるマッチョさ」がある、だからこそ、勝山や道草の本で見られた、自分なりの方法で生きること、豊島でいえば「自分ルール」で生きることこそが、そうした隠れたサヴァイヴ思考を乗り越えることになるんじゃないか、ということだ。

 ぼくには、豊島の本は、勝山や道草と違い、競争主義との葛藤に比重がおかれ、苦闘の末になんとかそれ以外の道を見つけ出した、という点に力が込められた一冊と思え、そのような内容だからこそ、「生きなおす」発想が相手ルールから自分ルールへの転換になっている点で「生き残る」とは違う、という第二の相違点があることに気づかせてくれる文章だったと思う。

 この二つ目の相違点までをおさえると、ようやく「生きなおす」を「生き残る」に対抗する、最低限見込みのある考え方として取り上げてもいいんじゃないか、という気がしてくるのである。

 

【後編へ続く】

 

 

 

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 “祖父の書庫”探検記 第2回
「無職」の窓から世界を見る 第3回【後編】  
はしっこ世界論

30歳を目前にして、やむなくスペインへ緊急脱出した若き文筆家は、帰国後、いわゆる肩書きや所属を持たない「なんでもない」人になった……。何者でもない視点だからこそ捉えられた映画や小説の姿を描く「『無職』の窓から世界を見る」、そして、物書きだった祖父の書庫で探索した「忘れられかけた」本や雑誌から世の中を見つめ直す「“祖父の書庫”探検記」。二本立ての新たな「はしっこ世界論」が幕を開ける。

プロフィール

飯田朔
塾講師、文筆家。1989年生まれ、東京出身。2012年、早稲田大学文化構想学部の表象・メディア論系を卒業。在学中に一時大学を登校拒否し、フリーペーパー「吉祥寺ダラダラ日記」を制作、中央線沿線のお店で配布。また他学部の文芸評論家の加藤典洋氏のゼミを聴講、批評の勉強をする。同年、映画美学校の「批評家養成ギブス」(第一期)を修了。2017年まで小さな学習塾で講師を続け、2018年から1年間、スペインのサラマンカの語学学校でスペイン語を勉強してきた。
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