繰り返される、嫌がらせの調停
連載4回目の主人公、大野真希さんと違い、尚美さんにとって実家は、安らぎの場所だった。父が半身不随で寝たきりだったが、母が家事や育児を全面的にバックアップしてくれた。長男は幼稚園の年中、2歳の次男は待機期間を経て、保育園に入ることができ、尚美さんは在宅でテープ起こしと、単発の派遣で働いた。
「テープ起こしは週に3回、派遣も3日、月に7〜8万円ぐらいの収入からスタートしました。貯金もあったので。母のサポートには、本当に助けられました。安心して任せられるし、子どもが熱を出しても働けますし」
離婚時、尚美さんにはOL時代に貯めた、600万円の貯金があった。実家は持ち家で家賃もかからず、光熱費と食費は基本的に、親が持ってくれるという恵まれた環境で、尚美さんは母子の生活をスタートすることができた。
しかし、家を出ても、問題は夫だった。話し合いによる協議離婚は無理なので、調停での離婚を尚美さんは求めた。結果として、離婚に至るまでかかった期間は1年2ヶ月、かかった弁護士費用は60万。600万という貯金があったから払えた、離婚の代償だった。
「10回も調停に行ったのは、本当にきつかったです。向こうも来るわけですから。会わないようにしているのに」
離婚が成立したことで、尚美さんは児童扶養手当を申請。月に4万円強の手当と、月10万円の養育費に加え、尚美さんの収入もあり、少しずつ貯金も可能となった。
尚美さんに経済面での不安はなかったが、別れた夫は「普通の」男性ではなかったことが大きな足枷となって、尚美さんを苦しめた。元夫は調停マニアと化し、すさまじい執念で、尚美さんに調停を仕掛けてきたのだ。それはまさに、“調停攻撃”だった。
「離婚後まもなく、養育費の減額調停を起こされました。さらに元夫は別の裁判所に、面会交流調停を起こしたので、結局、2つの事件となって、弁護士費用は80万にもなりました」
この80万という金額に驚いた尚美さんは以降、弁護士を立てず、一人で元夫と闘うこととなった。これまで都合3回、波状的に調停が起こされている。
「離婚して1年も経たないうちに起こされた、養育費減額調停は、住宅ローンが苦しいという理由で、一人1万5千円という、ふざけた金額をふっかけてきました。10万円から3万円への減額です。元夫は再婚して、それで家を買った。そのローンのために養育費を減らすなんて、冗談じゃない。元夫が起こす調停はすべて、弁護士を立てない本人訴訟。そういう、面倒臭い人なんです」
度重なる養育費減額調停により、養育費は離婚時に決めた二人で10万から、8万、6万と変遷、今は7万円で落ち着いている。だが、これもいつどうなるかわからない。忘れた頃に裁判所からの呼び出し状が届く生活を、尚美さんは離婚後ずっと続けているのだ。
「離婚しても、ずーっと縛りみたいなものがあって、忘れた頃に呼び出し状が来るので、どこか、前に進めない。裁判所の待合室で、周りの人たちを見ていると、『この人たちはこの調停を終えたら、相手と切れるけど、私はずっと、ここに来ないといけないんだ……』って。闘いたくないのに、闘わざるを得ない。ものすごい執着で、嫌がらせのように起こしてくる」
離婚して今年で13年、尚美さんは、あと1回か2回はあるだろうと見ている。
「母子家庭」という言葉に、どんなイメージを持つだろうか。シングルマザーが子育てを終えたあとのことにまで思いを致す読者は、必ずしも多くないのではないか。本連載では、シングルマザーを経験した女性たちがたどった様々な道程を、ノンフィクションライターの黒川祥子が紹介する。彼女たちの姿から見えてくる、この国の姿とは。