さらなるキャリアアップを
47歳になった時、司法書士事務所の業務縮小に伴って、パートに格下げされることとなり、尚美さんは転職を決意した。
この頃、実母が身体を壊して入院、孫の面倒も家事も不可能になった。
困った尚美さんは、地元の母子寡婦協会へ相談に行った。窓口で言われたのは、他に経理的な資格があればいいということだった。尚美さんは自治体が運営する職業訓練校の一つである、ビジネス専門学校の試験に合格、学生となった。
「ここに通っていると、失業保険が延長になるのも大きかったです。9時20分から16時10分まで授業があって、勉強するのはものすごく大変でした。情報処理技能検定2級と、簿記検定3級を取って就活したところ、お菓子メーカーの営業事務職に正社員として採用され、今もそこで働いています」
年収は290万ほど、ようやく国保を抜けることができ、厚生年金含め社会保険制度の恩恵に預かれることともなった。貯蓄はOL時代の貯金を合わせれば1000万となり、二人にそれぞれ250万円が下りる学資保険にも入っている。
生活は安定しているはずなのに、尚美さんは頭を振る。
取材時、長男は私立高校に通う3年生、次男は公立中の2年生だった。
「長男の私立の進学校ですが、お金がかかりすぎるんです。高校受験の時に担任から言われたのは、公立ではうちの長男は難しいだろうと。面倒見のいい私立が、彼には絶対いいと。だけど授業料も高いし、交通費もかかる。制服代も高かった」
ちょうどその年に公立高校だけでなく、私立高校にも就学支援金制度ができ、行政からの補助が年間60万ほど入ることとなった。そのおかげで、3年間の授業料の自己負担は120万円ほどで済んだ。
「支援金がなければ、絶対に私立は無理でした。大学生になっても長男は、アルバイトはできないし、どれだけ、お金がかかるのか。それに今、次男が不登校で、完全にネット依存状態です。小学4年から祖母が病気で入院したため、家にいなくなって、私は兄の療育に必死で、次男はどんどん、自分一人の世界にこもるようになって……」
元夫の調停攻撃をかいくぐり、必死になって資格を取り、正社員として生きる道を自ら開拓した尚美さん。その瞳がうるむ。
「次男は、小学4年生からずっと一人だった。あの時に上の子ばかりに必死にならないで、仕事を抑えてでも、下の子に寄り添えれば……。もともと協調性がなく、頑ななところがある子なので、私があの時、パートにしてでも、下の子にあったかい空気感のようなものを伝えることができていたら……。いつもギリギリの必死さしか、子どもに伝えてこなかった。私は、一生懸命頑張っているって。それで、子どもがしんどくなったのでは」
連載3回目の宅配便ドライバー、森田葉子さんと真逆だった。葉子さんはたとえ貧しくても、息子との時間を優先した。その意味では連載1回目のキャディ、水野敦子さんもそうだった。葉子さんは元夫がもたらした奇跡で、貧困の連鎖を断ち切ることができたが、敦子さんはそのために自己破産を余儀なくされた。
尚美さんには実家の支えという恵まれた環境にくわえ、正社員としての地位と貯蓄もある。国が推奨するシングルマザーの生き方=「働け、自立しろ」を貫いてきたのに、もっと、子どもとの時間を持つべきだったと涙にくれる。この国のシングルマザー施策に欠けているのは、「シングルマザーは、子どもをケアする存在だ」という視点だ。尚美さんは十分に働いてきた。なのに、今、心から悔いている。
「次男はネット依存で2回入院して、今では家でずっとオンラインゲーム。食事の時間ももったいないらしく、もう廃人状態です。私、WiFiを無理に切ったんです。そうしたら、玄関のバーをかけて、家に入れないようにされた。『ネット、繋げ!』って騒いで、警察も呼びました。鍵屋さんに来てもらって、突入みたいな……」
「手が足りなかった」と尚美さんは言う。長男は発達障害、次男も自閉傾向があると指摘される。
「特に手がかかる二人で、自分で社会と繋がれるタイプじゃないので、そこを引き上げる力というものが絶対に必要だった。それが私一人では、限度を超えていた。いつも定期的に見てくれて、見守ってくれる存在がいてくれたら」
子どもは社会が育てるものと言いながら、シングルマザーたちは何と、孤独な育児を強いられているのだろう。「手が足りない」という、尚美さんの思いはそこにある。学校と家庭以外に、子どもたちの居場所となれる場があり、そこに気にかけてくれる大人がいたら、どれほどシングルマザーの子育てはラクになることか。
「母子家庭」という言葉に、どんなイメージを持つだろうか。シングルマザーが子育てを終えたあとのことにまで思いを致す読者は、必ずしも多くないのではないか。本連載では、シングルマザーを経験した女性たちがたどった様々な道程を、ノンフィクションライターの黒川祥子が紹介する。彼女たちの姿から見えてくる、この国の姿とは。