●「このままトランジションがしばらく続くのかな」と、こちらが思っているところに組み入れられたトリプルループ。助走をまったくせず、密度の濃いステップを踏むことだけでスピードを確保しているのです。
「助走してジャンプを跳ぶ」のではなく「隙間なく実施されているステップの中に、ジャンプを配置する」という羽生結弦のプログラムの哲学が、非常にくっきり浮かび上がります。
●プログラムの後半に入っても、リンクの長辺をほぼいっぱいに使ってトランジションを入れて跳ぶ4回転トウ。トランジションのエッジワークの1歩1歩の大きさも素晴らしい。
こうした、非常に距離の長いトランジションの後に、こともなげに大技を組み入れる。トランジションのエッジワークが正確であることはもちろんですが、これが「ジャンプを跳ぶだけでは充分ではない」という羽生結弦の明確な主張のひとつだと思っているのです。
●そして4回転トウからトリプルアクセル!
4回転トウを右足で降りた後、降りた右足でさらにジャンプを踏み切る場合は「コンビネーションジャンプ」とみなされます。このプログラムで、羽生は左足に踏み替えてトリプルアクセルを跳んでいるので、「ジャンプシークエンス」です。
すでに2018年ヘルシンキ大会のフリー(2018 GP Helsinki FS)でも成功していたジャンプですが、その時よりも明らかにクオリティを上げた出来栄え。会場の割れんばかりの歓声で、自分の歓声が聞こえなくなる……。そんな経験はめったにできるものではありません。
このシークエンスは、プログラム前半ではなく、疲れがたまる後半に入れてきているのです。それがどれほど困難なことか、私にはうまく表現する言葉が見つかりません。
●トリプルフリップからトリプルトウのコンビネーションジャンプ。ジャンプを跳ぶ前のトランジションは、リンクの長辺を往復してするほど長い距離。その往復の間、9割以上は多種多様なエッジワークを組み入れてきています。この圧倒的な長さと密度のトランジションでコンビネーションジャンプ(しかもふたつめのジャンプが2回転ではなく3回転)を入れてくる強さ!
●トリプル+トリプルのコンビネーションを着氷した直後から、「コレオシークエンスが始まったのかな」と思わせるほどのエッジワークが続く。その中に、ほんのふた蹴りほどの助走をはさみ込みながら、次のジャンプの要素へ。
カウンターからトリプルアクセル、オイラー、トリプルサルコーの3連続ジャンプです。この「トリプルアクセルを含む3連続」が、ジャンプの最後の要素……。そのこと自体、とんでもないレベルです。しかもアクセルを飛ぶ前にカウンターを入れるという、体力的にも本当にキツい時間帯でもトランジションをおろそかにしない意志が感じられます。
『羽生結弦は助走をしない』に続き、羽生結弦とフィギュアスケートの世界を語り尽くす『羽生結弦は捧げていく』。本コラムでは『羽生結弦は捧げていく』でも書き切れなかったエッセイをお届けする。
プロフィール
エッセイスト。東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒業後、出版社で編集に携わる。著書に『羽生結弦は助走をしない 誰も書かなかったフィギュアの世界』『恋愛がらみ。不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』『愛は毒か 毒が愛か』など。