特設エッセイ 羽生結弦は捧げていく 第12回

『羽生結弦は捧げていく』高山真が振り返る2019年世界選手権(フリー編)

高山真
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◆ミハイル・コリヤダ(総合6位)

 このコリヤダを待っていた!

 そう叫びたくなるような素晴らしいフリー。使用した『カルメン組曲』はビゼーの作曲ですが、ロシアのバレエ団がこの組曲で素晴らしい演目を作り上げていますから、私にとってはロシアの選手にもよく似合う曲です。男子選手で特に印象に残っているのは、1992年のアルベールビルオリンピックのオリジナルプログラム(この時期はショートプログラムがこう呼ばれていました)。キャリアの初期はソ連の選手として活躍し、ソ連崩壊後のアルベールビルは「独立国家共同体」の選手として参加、のちにウクライナの選手になったヴィクトール・ペトレンコが披露したプログラム(Victor Petrenko 1992 Olympics OP)が本当に素晴らしかった。私は「男子選手でもっともバレエを厳密に叩き込んでいるのは誰か」と訊かれたら、現役選手ではネイサン・チェン、レジェンドスケーターではペトレンコの名前を迷いなく挙げます。

 そして、コリヤダの『カルメン』は、ペトレンコの名プログラムにまったくひけをとらない素晴らしいものだったと断言したいと思います。『カルメン』における男性の主役はホセですが、「氷上のホセ」の端正な迫力、申し分のない演技でした。

 上半身の動きの多彩さは、素晴らしい演技を披露した2016年の世界選手権のフリーから際立っていましたが、そこに年を追うごとに質が上がっていくスケーティングが加わってきていました。そしてこのフリーでは、「スケーティングと上半身の振り付けの融合」に、「ジャンプをまとめる」という、コリヤダにとっての最重要課題もクリアされたのです。最後のジャンプの要素であるトリプルルッツが決まったときの会場の歓声、そして演技終了後のスタンディングオベーション!

 コリヤダの演技で心からのスタンディングオベーションができること、スケートファンとして本当に幸せでした。

 

 総合2位が確定したあとのインタビューで羽生結弦は、

「負けは死と同然」

 という非常に強い言葉で試合を振り返っていました。しかし同時に、会場にいた私が見たのは、表彰式でネイサン・チェンがコールを受けてリンクに出て観客に挨拶をしているとき、銀メダルの表彰台から、ひときわ大きな拍手を(胸のあたりでする拍手ではなく、おでこあたりまで腕を上げての拍手を)送っていた羽生結弦の姿でした。その誰よりも大きな拍手は、客席の誰よりもネイサンのことを祝福しているようにも見えたのです。

 また、帰宅後に見たテレビで番組では、ネイサンの得点をバックルームで見た羽生結弦が、

「あぁ負けた~! 負けた~! 悔しい! カッコいい! くそー! ダメだよな、あんなんじゃ勝てないよな」

 と、ネイサンを称えつつ素直に悔しがる姿が映し出されていました。それも非常に印象的でした。

 オリンピックと世界選手権、どちらも2枚の金メダルを持っている羽生結弦は、「すべての結果を手にした」と言ってもいい存在です。そこまでの結果を得た後でも、ここまで

「正々堂々と相手を称え、同時に、正々堂々と悔しがる」

 ことができる……。その姿に、私は「ああ、次のシーズンも、羽生結弦の全身全霊のスケートが見られるんだ」と、ちょっと泣きたいくらいの幸福を感じたのです。

 

 2019-20年シーズンは間もなく開幕します。選手たちはすでに「次」を見据えてトレーニングに励んでいることでしょう。私はこれからも、選手たちの技術と、感受性と、思いが詰まったプログラムを、全霊で観戦したいと思います。それが一スケートファンの私ができる、精いっぱいの返礼だと信じているのです。

 

 

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特設エッセイ 羽生結弦は捧げていく

『羽生結弦は助走をしない』に続き、羽生結弦とフィギュアスケートの世界を語り尽くす『羽生結弦は捧げていく』。本コラムでは『羽生結弦は捧げていく』でも書き切れなかったエッセイをお届けする。

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プロフィール

高山真

エッセイスト。東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒業後、出版社で編集に携わる。著書に『羽生結弦は助走をしない 誰も書かなかったフィギュアの世界』『恋愛がらみ。不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』『愛は毒か 毒が愛か』など。

 
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