●コレオシークエンスは、羽生結弦のトレードマークともいえそうな、レイバックイナバウアーとハイドロブレーディングが見せ場です。
レイバックイナバウアーの見事な背中のアーチを、腕を振る勢いではなく筋力だけで作ってみせるのも見事。広げたアームを戻していく(上半身のポジションがかなり変化する、ということです)際、イナバウアーのポジションになっているエッジが微動だにしない、かつ、まったくスピードが落ちないのも、ため息ものです。
また、レイバックイナバウアーとハイドロブレーディングをつなげている「片足での見事なエッジの切り替え」も特筆すべき点に挙げたいと思います。
最初は左足で、次に右足で、それぞれに「フォア/バック」を切り替えていく歯切れのよさ。その歯切れのよさが、次のハイドロブレーディングのなめらかさと美しい対照を成していると感じます。
プログラムの締めくくりでも、まだここまでのことが「余力を残している」かのように遂行できる……。
素晴らしいテクニックと、強靭な体力、その両方がそろってこそ結実するプログラムです。
フィギュアスケートの選手たちはほぼ全員、試合会場で実際にリンクに立つ姿を見るとビックリするくらい細いのですが、羽生結弦は、そんな選手たちの中でもひときわ細い。その体のどこに、あの強靭さが詰まっているのか……。
●ハイドロブレーディングの流れからダイレクトにデスドロップ。そして足替えのシットスピンへ。
「隙間」のまったくないプログラムが、演技冒頭から4分間ずっと続いているにもかかわらず、スピンからは「音楽の盛り上がりとの同調性」を濃密に感じます。
ひとつひとつの技の要素も、そしてトランジションとしてのエッジワークも、想像を絶するほど難しい。それは、いまお話ししてきた通りだと思います。
それにもかかわらず、「技を実施するタイミングや回転速度、トランジションの足さばきが音楽のリズム、音符、曲想とピッタリ合っている」ことのほうが観客に強く印象づけられる。
「エッジが、スケートそのものが、曲を表現する」とは、こういうことだと私は思っています。
●疲れが最高潮に達する、ラストの足替えのコンビネーションスピンの中にもフライングの要素を入れる。4分間、まったく休みなしに滑った後でも、こうしたドラマ性を加味してくるのもチャレンジングだと思います。
ラストのスピンのポジションは、右足を軸足にして、左足を右足の前方に巻き込んで回転速度を上げていく、スタンディングの姿勢でおこなうスピンです。すでにこのときには、私の周りのお客様たちの中には、スタンディングオベーションをおこないたくて、中腰の姿勢になっている方も相当数いらっしゃいました。もちろん私もそのうちのひとりです。
『羽生結弦は助走をしない』に続き、羽生結弦とフィギュアスケートの世界を語り尽くす『羽生結弦は捧げていく』。本コラムでは『羽生結弦は捧げていく』でも書き切れなかったエッセイをお届けする。
プロフィール
エッセイスト。東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒業後、出版社で編集に携わる。著書に『羽生結弦は助走をしない 誰も書かなかったフィギュアの世界』『恋愛がらみ。不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』『愛は毒か 毒が愛か』など。