本当に、生で見ることができてよかった。熱狂しているのに、ぼう然としているような不思議な気持ちで、私は立ち上がって拍手を送っていました。
私はこの連載で、「世界選手権では、羽生結弦に新しい幸せを見せてもらえるだろう」と書いてきました。その私の予感が、何百倍ものスケールで実現した瞬間でした。
平昌オリンピックの奇跡は、私にとって、ずっと保存されている宝物の記憶です。そこにもうひとつ、19年世界選手権の記憶も追加されることになりました。
ここからは、特に私の心をとらえた、ほかの選手のフリーを振り返ります。
◆ネイサン・チェン(総合1位)
羽生結弦の次の演技順だったネイサン・チェン。会場の熱気がまったく冷めていない状態でおこなう演技です。壮絶なプレッシャーもあったに違いありません。
しかし私は、ネイサンの演技にも、羽生結弦の演技とはまた違った形で度肝を抜かれることになります。
冒頭の4回転ルッツは、スピードのある踏み切り(踏み切りの瞬間のバックアウトサイドエッジのシャープさ)、驚くべき高さ、空中姿勢の素晴らしさと回転の速さ、空中の高い位置で4回転回りきっているために「こらえている」感じがまったく見えない着氷、そして着氷後のトレースの大きくて自然な軌道……。すべてがお手本になるような、超一級品の出来栄え。あまりにも自然に実施していたため、一瞬トリプルルッツかと錯覚してしまったほどです。
その後のジャンプも素晴らしかった。特に、「昨シーズンまで明らかに苦手だった」ことが信じられない、トリプルアクセルの高さと着氷後の流れのよさには本当に驚きました。
ジャンプのほんの少し高さの違い、ほんのわずかな回転軸のブレがジャンプの成否を分ける。それはスケートファンなら誰もが知っていることです。同時に、
「そのほんの少しの違い、わずかな差を向上させるために、すべての選手たちが血のにじむ思いで練習を積み重ねている」
ことも、誰もが知っていることでしょう。
苦手なジャンプを、ここまで素晴らしいクオリティにまで引き上げ、しかも本番で実施することの難しさ。それを鮮やかに実行してみせた、ネイサンのピーキングの見事さ。ただただうなるばかりです。
「完璧」という言葉以外の形容が見つからない4回転トウの鮮やかさも特筆ものでした。
『羽生結弦は助走をしない』に続き、羽生結弦とフィギュアスケートの世界を語り尽くす『羽生結弦は捧げていく』。本コラムでは『羽生結弦は捧げていく』でも書き切れなかったエッセイをお届けする。
プロフィール
エッセイスト。東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒業後、出版社で編集に携わる。著書に『羽生結弦は助走をしない 誰も書かなかったフィギュアの世界』『恋愛がらみ。不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』『愛は毒か 毒が愛か』など。