バイブス人類学 第4回

地獄のなかで宝探し

長井優希乃

ミナクシの悪ふざけ

夜ご飯は、マンジュリの娘たち、ミナクシとラヴィーナと一緒に作ることが多かった。ロティの作り方をミナクシに教えてもらいながら焼いたり、トマトを切ったり、ある時はサグ(ほうれん草)を、杵と臼のようなもので潰したり。料理ができた時に、このロティはユキノが焼いたんだよ!とミナクシがいうと、みんな大げさに褒めてくれる。

「ユキノはこれで完璧にインド人だ!こんなロティを焼けるんだから!」

ある夜、家でミナクシと料理をしていた。この日はやたらミナクシのテンションが高い。ラヴィーナ曰く、ミナクシは好きな人や仲のいい人に、激し目の身体接触を試みがちなのだそうだ。確かに彼女はテンションが高い時は、ふざけて叩いたり、レスリングを仕掛けてくるから、納得だ。

横並びで一緒に玉ねぎを切っていると、ミナクシがいきなり、爆笑しながら、「お前を殺してやる!」と言って、ふざけて包丁で刺してこようとした。笑っているしふざけているのは一目瞭然なのだが、完全に悪ふざけだ。「包丁は本当にやめてほしい。マジで、やめて。それは本当に面白くない」と言うと、冷静に真顔で話す私を見てミナクシは余計面白くなってしまったようだ。ミナクシはまた爆笑しながら、「お前を殺してやる!」と言って私に包丁を向けて、刺す真似をした。すると、勢いがつきすぎたのか、その包丁の先端が私の前太ももにズンッと当たった。「ぎゃ!」と私は叫んだ。ミナクシはびっくりして、「ごめん!ごめん!」と言った。幸い、厚手の服を着ていたので刺さってはいなかった。しかし、悪ふざけが過ぎる。こんなの、小学生の時とかにやってコテンパンに怒られる類の悪ふざけじゃないか。激辛料理で心身ともに堪えていたので、ただただ笑って済ますことができず、気分が落ち込んだ。ああ、疲れた。全部疲れた。全てが過剰だ。なにもかも、過剰で、濃厚で、意味不明だ。理解が、できない。

ああ、一人になりたい――。身体も、精神も、疲れていた。

 

(2015年11月1日撮影 ロティを焼く私とマンジュリ。このキッチンで事件は起こった)

(2015年11月3日撮影 料理をするミナクシ)

 

マンジュリのぐちゃぐちゃなメヘンディ

 

身体がつらいと、精神にも余裕がなくなってくる。

思えば、マンジュリの家に来てから1ヶ月半ほど経ったときから、私はどんどん余裕を失っていた。

今日も、マンジュリの隣でメヘンディを描いている。私がいつものようにお客さんにメヘンディを施述していると、マンジュリが「速く!もっと速く描かないと!」と言ってくる。マンジュリが、自分のお客さんの手を使って「ほら、こうするんだよ!」とびっくりするほど速く、でもびっくりするほど雑に施術してみせる。マンジュリは、どうだ、とばかりに満足げだ。お客さんの顔を見ると、苦い顔をしている。私は、雑なメヘンディをお客さんにやりたくないのだ。自分も美しいと思えるメヘンディをお客さんに施して、自分もお客さんも満足して終わりたい。そのほうが、お互い幸せな気がする。

 

ある日、結婚パーティの出張で、マンジュリがお客さんにメヘンディを施術した途端、お客さんがブチ切れた。

「私の手をどうしてくれる!こんなぐちゃぐちゃなメヘンディじゃ、お金は払えない!」

そう叫ぶと同時に、周りの人にマンジュリが施したメヘンディを見せつけた。すると彼女の列に並んでいたお客さんの列がスッといなくなり、私とラヴィーナの前に列ができるようになった。マンジュリがどんなに「こっちは空いてるよ!」と言っても、お客さんは先ほどのやりとりとぐちゃぐちゃなメヘンディを見ているため、彼女のところには並ばない。

マンジュリは、いつもそうだ。目先の利益にとらわれて、回転を早めるためにお客さんに適当なメヘンディをして、お客さんが激怒する。結局、何分も喧嘩をし時間がすぎるばかりか評判まで落とすのだ。

ひとり、列に並び疲れた女性が、マンジュリのところにやってきた。マンジュリは、やっと来たお客さんだからか、明らかにゆっくり、明らかに丁寧に施術している。その様子を見た周りのお客さんが、少しずつ、マンジュリのもとに戻ってきた。

 

なんとかその場の女性たち全員に施術し終わって、オートリキシャで家に帰った。その帰路で、マンジュリは「あの人たちはおかしいよ!私のメヘンディは「デザイン」なんだよ。ぐちゃぐちゃなんじゃない。それに、結婚式の出張なんて片手で20ルピーくらいしかもらえないんだから、丁寧になんて描いてられないよ!」と愚痴をこぼしていた。

 

私は、徐々にそんなマンジュリのやり方にイライラするようになっていた。ぐちゃぐちゃなメヘンディをやってお客さんと喧嘩して時間を食っているのに、私にはいつも「速く、速く!」と急かす。絶対に最初から綺麗にやったほうが、喧嘩に時間も取られないし、効率がいいのに。

マンジュリの隣でメヘンディを施術するのが、だんだん苦痛になってきた。

 

ヤムナ川の上で

 

ある日、いつものようにマンジュリとオートリキシャに乗って、ハヌマーン寺院に向かっていた。ラクシュミナガルからコンノートプレースに行くまでには、ヤムナ川という川の上に架かる大きな橋を渡る。この橋は、まるで日本の高速道路とかレインボーブリッジみたいなイメージで、大きくてかっこいい。高級そうな車もたくさん走っている。デリー中心部の逆走だらけの混沌とした道路とは違い一方通行で、ここではみんなスピードを出して気持ちよく走るのだ。私は開放感に溢れたこの橋をオートリキシャで渡るのが大好きで、毎日ひそかに楽しみにしていた。

しかしこの日は、今日も一日が始まってしまうと思いながら沈んだ気持ちでいた。ハヌマーン寺院で客引きをしたり、マンジュリに急かされながらメヘンディを描くことを想像すると、ただただ憂鬱な気持ちになるのだった。

そんな鬱々とした私の気分に合わせたかのように、私たちの乗ったオートリキシャは、橋の中盤に差し掛かったところで少しスピードを落とし始めた。

するとマンジュリが、「ユキノ!見て!!」と私に外を見るように促した。何だろう、面倒だな、と思いながらも身を乗り出して外を見てみた。

その瞬間、マンジュリが「エレファーント!!!!!」と叫んだ。まさか、目を疑った。大きなゾウが、前から逆走してきているではないか。え、なにこれ。

私の鬱々とした気分は一気に吹き飛んだ。なぜ、ゾウが逆走しているのか?しかも、こんな都会的な場所にゾウが?もう、理解の範疇を超えている。全てが、ぶっ飛んでいる。しかも、マンジュリが「エレファーント!!!!!」と大声で叫んだのもじわじわくる。憂鬱でいる場合じゃない。私は無理やり、明るい面白ワールドに引き戻された。

ゾウを見て見るからにテンションが上がり明るい顔になった私を見て、マンジュリは嬉しそうだった。日に日に疲れた顔になって行く私を見て、どうしたのかな、と思っていてくれたのだろうか。

この日から、日々の生活の「意味のわからなさ」が一線を超えた。面白くなってしまった。

 デリーでの暮らしは、全てがエクストリームで、クレイジーだ。針が振り切っている。いとも簡単に、理解の範疇を超えてくる。この理解のできなさが、私を揺さぶり、もう立ち上がれないほどまでに苦しめる。でも、やっぱりこの理解のできなさが、「面白い」。自分の想像をはるかに超えてやってくる数々の出来事が、私の元々持っていた常識の枠をいとも簡単にぶち壊してくるのだ。

(2017年4月9日撮影 この日も橋で象を見た)

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バイブス人類学

文化人類学専攻の学生、ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザーとして、様々な国で暮らしてきた「生命大好きニスト」長井優希乃。世界が目に見えない「不安」や「分断」で苦しむ今だからこそ、生活のなかに漂う「空気感」=「バイブス」を言語化し、人々が共生していくための方法を考えていきます。

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プロフィール

長井優希乃

「生命大好きニスト」(ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザー)。京都大学大学院人間・環境学研究科共生文明学専攻修士課程修了。ネパールにて植物で肌を様々な模様に染める身体装飾「ヘナ・アート(メヘンディ)」と出会ったことをきっかけに、世界各地でヘナを描きながら放浪。大学院ではインドのヘナ・アーティストの家族と暮らしながら文化人類学的研究をおこなう。大学院修了後、JICAの青年海外協力隊制度を使い南部アフリカのマラウイ共和国に派遣。マラウイの小学校で芸術教育アドバイザーを務める。

 

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