5月11日 ハンスト3日目 公明党本部前ー国土交通省前
48時間が経過していた。移動車の中で、「昨日はつらかったけれど、それを越えて空腹に慣れてきました」と仁士郎は語ってくれた。
信濃町の公明党本部に着く。懸念されたとおり、党本部の前の道は狭く、待ち構えた警官に誘導され、近くの小さな公園でこの日はスタートした。
すぐに支持者が現れ、談笑を始めた。70歳を越える穏やかなご夫婦が来ていた。仁士郎や私のSNSを見てきたそうだ。正直、この世代の方が見ているとは自覚が無かった。丁寧な発信をしなくてはと背筋が伸びた。
暖かい陽気に公園だったこともあって、牧歌的な空気だった。多くの支持者が集まって、署名したり談笑したり本を読んだり、彼の行く先々に小さな村ができるような不思議な感覚があった。撮影に訪れたウチナーンチュの友人が、「初めて東京湾を見た時、あまりにも灰色だからでっかい駐車場かと思った」と話して、皆で笑った。
近くの保育園の園児たちが散歩に訪れ、この公園を使うというので、彼も端に寄ってハンストを続けた。気づくと、支持者は彼と話すために列を作っていた。昔の高僧や哲学者がその行く先々で人々を感化しながら旅を続けたような、そういう光景を思わせた。
現在の自民党追従の公明党、創価学会のあり方を批判し、除名された元学会員の方が三色旗を持って名古屋から駆けつけた。平和を希求し市民の側に立つのが本来の創価学会のはずだとその方は訴えていた。
午後になると、その三色旗を見て、学校帰りの近所の子どもたちが「ルーマニアの国旗?」とはしゃぎ、笑いを誘った。ほのぼのした空気が流れていたが、この公園の遊具も三色旗と同じカラーだと気づくと少し寒気がした。
15時、国土交通省前へ移動する時、仁士郎は電車を使った。ハンストの最中にわざわざ体力を消耗する電車移動をすることが気に掛かり、その理由を聞くと「近いから」とのこと。不思議な人だ。綿密に練られた部分と即興的な部分が交錯している。しかしそれこそが彼の魅力であった。支持者たちは彼の荷物を持ち、列をなして彼について行く。まるで賢者を追って人々が移動する民話のような状態。彼には、人を巻き込む天性の才能があるのではないかとこの頃から感じ始めていた。
信濃町から総武線で四ツ谷、四ツ谷から丸の内線で霞ヶ関へ向かう。ハンスト中の人間が乗り換えをするというのも奇妙な光景だった。地下鉄の車内で今の心境を聞いた。
「当たり前だけど、私がハンストをしている間も、この東京にはたくさんの人たちの普通の生活があって、私のことを知らない人たちが大多数です。改めてそういう現実を自覚しました」
そんな彼の言葉が印象深かった。東京とは自分の存在をとてもちっぽけに感じさせる場所だ。過酷な都会の雑踏の中で、今、バタフライエフェクトの始まりの一羽の蝶が羽ばたきを始めている。それは小さくとも、いつか歴史を動かし得る。そういう説得力が彼には漂っていた。
霞ヶ関に着き、国土交通省前に来ると、すでに多くの支持者が待っていた。拍手喝采の歓迎ムードだった。「教育と愛国」が公開され話題になっている斉加尚代監督や、ノンフィクションライターの安田浩一さんの姿もあった。沖縄への構造的差別やフェイクニュースを取材し続けてきた尊敬する先輩たちとの久しぶりの再会に、私は心を弾ませた。
陽気もあり、その日は夜になるまで支持者がひっきりなしに詰めかけ、列をなした。話し疲れないか見ていてハラハラしたが、支持者との対話で彼は気力を保っているような感じもあった。
夜になると、彼と初めて二人きりになる時間があった。彼は音楽を聴いてリラックスした表情だった。彼が聴いていたのは、沖縄のラッパーAwichの「Queendom」。
そのなかの「次世代に残さないカルマ」という一行に、彼は自分を投影しているようだった。
夜21時過ぎだっただろうか、国土交通省から出てきた職員とおぼしき男性が仁士郎に「がんばってください」と声をかけた。これには彼も目を丸くしていた。官僚らしき人が彼に声をかけたのはこれが初めてだった。役所の中にも、「辺野古の埋め立てはおかしい」との想いを抱えながら働いている人がいるのかもしれない。当たり前だけど、国家公務員とはいえ人間である。機械ではない、それぞれの意思を持った人間なのだ。柔らかい風が吹いたような気分だった。なんとなく、近畿財務局職員だった赤木さんの存在を思い起こして、胸に熱いものが込み上げた。
終了を予告した時刻が近づくと、麹町署のFさんが訪れる。当初は強面で怒鳴るような感じだったが、今ではFさんともささやかな信頼関係が築かれつつあり、正直に懸念などを共有してくれるようになった。「明日は外務省ですよね。外務省は先月、車両が突入する騒ぎがあってピリピリしていて、しかも私、今夜夜勤で明日いないので…」。まあ大丈夫でしょう、と私たちはしばし談笑した。
その日は22時半ぐらいに行動を終えた。
帰りの車中、国土交通大臣のポストを13年以上、公明党議員が独占していることついて、仁士郎と少し語り合った。公明党本部から国土交通省への今日の流れは意図的なものだったのだ。
私はその日、ホテルのランドリーを回し、久しぶりに湯船につかる時間が作れた。怒涛のように日々は過ぎていく。ホテルに戻っても彼の体調が気にかかった。翌朝彼が無事に起きてくることを願いながら眠った。
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