元山仁士郎のハンガーストライキ151時間が問う沖縄「復帰50年」

大袈裟太郎

5月15日 ハンスト7日目 宜野湾コンベンションセンター 復帰式典前

迂闊にも私は遅刻し、那覇空港で仁士郎と合流した。144時間の空腹状態。ハンスト中のフライトは聞いたことがない。医師もかなり心配していた。

彼はだいぶほっそりとやつれていた。この頃の彼は1日1キロペースで体重が落ちていたという。体調はどうですか? そんな言葉も愚問に感じた。良いわけがないのだ。どうにか気力だけでこの沖縄に帰ってきた。すでにそんな雰囲気だった。

その状態で仁士郎はある労働組合の集会に登壇した。ハンストを決意する以前から決まっていたスケジュールだそうだ。私も疲労から語彙力を失い、登壇する直前の彼に楽屋で、「今日、かっこいいよ」とルッキズム的な幼稚なことを口走ってしまった。「いや、いつもかっこいいですよ」。笑顔で返す彼のタフネスを尊敬した。

 

彼は40分以上、ひとりで講演をした。その弁舌は衰えるどころか、より研ぎ澄まされ無駄がなく、説得力をもって胸に迫るものだった。その姿は静謐、という言葉を思わせた。その日、私は彼に対して、もはや畏敬の念を覚えていた。

沖縄、首里にて労組の集会に登壇

講演を終え、車で宜野湾のコンベンションセンター、復帰記念式典の会場へ向かう。その車中で、デニー知事の演説の配信を見た。「沖縄本島」と多くの人が表現するところを、「沖縄島」と表現したことをよく覚えている。そこには沖縄県の「沖縄島」以外に暮らす人々への配慮が感じ取れた。

車両が式典会場に近づく。あちらこちらに右翼の街宣車が目立ち、不穏だ。

会場前には岸田政権に対して抗議の声を上げる人々もいる、そして何よりそれらを圧倒的に上回る数の警官が配備されていた。それらは福岡や熊本、九州の警官たちだったため、1609年の薩摩による琉球侵攻(慶長の役)を思わせるというツイートを目にした。とどのつまり、深い遺恨は400年前までさかのぼる。

 

復帰式典の会場周辺は異様な緊張感に包まれていた。前述した、米軍の残置物を集める蝶類研究家の宮城秋乃さんが拘束されたとの情報もあった。歩道には数百もの警官の怒号が響き、付近は騒然としている。復帰式典の冷酷にも見える冷淡さの外はカオスだった。すべてが沸点に達して激情が渦巻き、飽和しているような空気だった。

そのカオスの縁を、多くのメディアに囲まれながら仁士郎は黙々と歩いていた。2019年のハンストを支えたメンバーも駆けつけ、寄り添うように彼の両脇を固めた。声を上げる抗議者たちと一定の距離を置いた場所に彼は座り、ハンストを続けながら記者会見をした。

 

式典が終わると、警官の配備が増えていく。まもなく要人たちが出てくることが容易に予想された。その時、ハンガーストライキのパネルを掲げる仁士郎を、機動隊車両が隠すように停車した。これには周囲からも抗議の声が上がる。それはまるで悲鳴のようだった。仁士郎はそれでも静かに場所を移動し、また道路から見える場所に立った。それをまた別の機動隊車両が隠した。これが何度か繰り返された。どうやら警官は式典から去る岸田総理の目に仁士郎が映ることを徹底的に阻止しようとしていた。

復帰式典前、機動隊に通行を制限された元山氏

彼の傍らで、RBC琉球放送の記者たちも通行を規制された。これも異常な事態だ。九州の機動隊なので、沖縄県内メディアを把握しないまま規制したのだ。思えば2016年の高江でも琉球新報の記者が機動隊に拘束されるというありえない事件があった。この時も東京の警視庁、「本土」の機動隊だった。末端の警官の無知を放置することで、警察は沖縄メディアの排除にまで成功したのだ。

彼がまた移動する。しかし、その行く手を警官たちが完全に規制した。復帰50年のこの日、元山仁士郎は根拠なく警官に移動を制限され、その抗議の意志や存在さえも、総理大臣の目から隠蔽されたのだ。この国は仁士郎ひとりをどれだけ恐れているのだろうか? いや、この国や権力者が恐れているのは、仁士郎ひとりの姿ではなく、彼が背負っている沖縄の民意そのものだった。

 

この痛烈な冷遇は、復帰後50年間続いてきた日本政府による沖縄の民意の透明化を象徴するようだ。いや、歴史を振り返れば50年前の復帰の時点で、いわゆる「返還協定」には沖縄の民意が反映されず、自民党による強行採決だった。復帰50年はスタートからすでに、民主主義的ではなかったのだ。

 

機動隊に囲まれている仁士郎の向こうを脱兎の如く、岸田首相の乗る車両が走り去っていった。その時の仁士郎の後ろ姿や、その周囲で涙ながらに叫ぶウチナーンチュたちの姿が私の目に焼き付いて離れない。

復帰50年後の今、沖縄の民意を無視する「本土」。この異常な関係性は、より強固になっているのではないか?

去っていく岸田首相の車両にプラカードを掲げる

岸田首相は見なくても、しかし私は見ていた。権力から隠蔽され、無視され、排除され、それでもそこに立ち続ける仁士郎の姿を、ウチナーンチュたちの姿を、私はこの目でしっかりと見ていた。これが復帰50年の沖縄と日本の厳然たる現実なのだ。

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プロフィール

大袈裟太郎
大袈裟太郎●本名 猪股東吾 ジャーナリスト、ラッパー、人力車夫。2016年高江の安倍昭恵騒動を機に沖縄へ移住。
やまとんちゅという加害側の視点から高江、辺野古の取材を続け、オスプレイ墜落現場や籠池家ルポで「規制線の中から発信する男」と呼ばれる。 
2019年は台湾、香港、韓国、沖縄と極東の最前線を巡り、2020年は米国からBLMプロテストと大統領選挙の取材を敢行した。「フェイクニュース」の時代にあらがう。

 

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