5月14日 ハンスト6日目 国会議事堂前
朝、仁士郎は秋葉原でPCR検査を受けた。検査の時に梅干しの写真を見て唾液を出すのが、「(空腹もあり)ダブルでつらい」と苦笑いしていた。
すでに開始から120時間が経過していた。検査結果は陰性だった。これで明日は沖縄へ飛べることが決まり、少しホッとした。
土曜日だったこともあり、国会前には多くの人が激励に訪れた。雨も止み、穏やかな時間が流れた。私は早起きして赤坂のドン・キホーテで長靴を買ったが、長靴を履くと雨が止むというのはどの現場でもあるあるらしい。高齢の世代からは「これはどういう団体なの?」という質問を受けたが、思えば今回、特定の組織の後押しは無い。しかし、組織がなくとも個人でプロテストは可能である。それが現代の潮流であるし、旧来の組織を否定することもないから、幅広い連帯が可能だと感じる。そんな時、香港で出会ったプロテスターも駆けつけてくれて、個人的に感極まるものがあった。
昨年、気候危機に関するハンガーストライキを行ったデプトカンパニー代表のeriさんも現場を訪れ、仁士郎とふたりでインスタライブをした。eriさんは今年の参院選の話や、いかにフィルターバブルの外にメッセージを届けるかについて語ってくれた。現場を訪れる若い世代はこのフィルターバブルについて話をすることが多かった。
フィルターバブル
【インターネットで日々どのようなキーワードを検索するかが自らにフィルターのように働き、自分の好みに合った情報ばかりが表示されることで、多様な情報や自身と相容れない意見などに触れる機会が失われている状態。米国のインターネット活動家であるイーライ・パリサーが2011年に提唱した概念で、好みの情報の「泡」に閉じ込められ、外の世界から遮断されている様を表す造語。パリサーは、閉ざされた世界で似たような意見ばかりに触れていると、その考えが極端化したり、絶対的に正しくて他の意見はすべて間違っていると思い込んだりする「エコーチェンバー現象」が起こり、社会の分断化が進むとして警鐘を鳴らしている。】
出典 朝日新聞出版知恵蔵mini
いかにしてこのフィルターバブルの外に言葉を届けていくか。エコーチェンバーによる情報の自家中毒状態を避け、客観的に現状を把握するか。そして、意見の異なる存在を「受容」、インクルージョンしていけるか。現代のプロテストの大きなテーマだとあらためて感じた。
いかにして人と人の心に理解の橋を架けられるか。具体的に言えば、沖縄と「本土」の人々の心に理解の橋を架けるか。今、私の目の前で起こっていることとはそういう試みであった。そしてそれにはまず、今の沖縄と「本土」の間にある「認識の溝」について、「心の距離」について正確に理解することから始まるのだと私は考えている。
その夜、最後まで居残った人々へ、仁士郎からのスピーチがあった。
「2015年に沖縄のセルラースタジアムで、翁長さんの『ウチナーンチュ、ウシェテナイビランドー(沖縄人をなめてはいけないぞ)』という言葉を生で聞いて奮い立たされる思いがしました。
私としては県民投票にも取り組んで、ハンガーストライキもやって、日本政府が変わらないっていうのは、なめられているとしか思えないので、今後、沖縄が日本政府と一緒にやっていけるのかどうか、沖縄の基地問題ってずっとずっと続いていくんじゃないかと。また誰かがレイプされたり殺されたりして、県民大会開いて声あげても、本当に届くのか? 何回これ同じことやるのか、本当にこのまま日本でいた方がいいのかということも真剣に考えざるを得ないような状況が来てしまうことを恐れています。
そうならないでほしいと思いますけれども、でもそうじゃないと、今の若い人たち、あるいはこれからの子どもや孫たちの生活を、上の世代がどうやって責任を取るのか。大田昌秀さんも申し訳ないと言うことを27年前に言いましたけども、また申し訳ないと言うのか。本当にそういうところは真剣に考えないといけないと思いますし、24時間自分もできることがあるわけじゃないですけども、できる限り、これからの今を生きている人たちだとか、あるいはこれからを生きる沖縄の人たちへのそういう責任を、自分は果たしたいと思いますし、そういうふうに思ってくれる沖縄の人たちに、ぜひ一緒に頑張ろうということは伝えたいなと思っています。以上です」(一部要約)
ここまでの数日、エモーショナルなものを極めて抑制してきた彼が、珍しく熱っぽい横顔を見せた瞬間だった。静かに、しかし火がつきそうなほどに切実だった。国会周辺を警備する制服警官と国会議事堂の黒く大きな影が、その切実さを際立たせていた。
復帰50年は間もなく、明日に迫っていた。
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