元山仁士郎のハンガーストライキ151時間が問う沖縄「復帰50年」

大袈裟太郎

2022年5月15日、沖縄がアメリカから返還され50年が過ぎた。しかし、本土「復帰」とは名ばかりで、実態は50年以上前と変わらない…どころか、むしろ悪化していると言えるのかもしれない。

復帰50年という節目を迎えた沖縄のこの現状を前に、ひとりのウチナーンチュが日本政府に抗議のハンガーストライキを敢行した。期間は5月9日から15日、場所は都内各所と沖縄で、計151時間にも及ぶ過酷なものだった。

このウチナーンチュ、元山仁士郎さんのハンガーストライキに、香港、BLM(ブラック・ライブズ・マター)、沖縄…と、常に市民の側の視点に立って権力へのプロテストを発信し続けてきた大袈裟太郎が密着、政府と日本国民に沖縄問題を問う!

 

ひどくもどかしかった。沖縄の本土「復帰」から50年目のその日が迫っていた。

「復帰50年」。沖縄北部やんばる、辺野古を有する名護に住んで5年。移住者の私にとっても、この言葉は重くのしかかっていた。

「祝う」のか「声を上げる」のか、そもそも50年前の時点で「復帰」ではなく「再併合」と呼ぶべきだったのではないのか?  ネット上を中心として様々な声が飛び交う が、それ以前に圧倒的な数の人々の無関心が私を憂鬱にさせた。「本土」に「復帰」したのだから今は沖縄も「本土」のはずだが、沖縄から県外の日本を語るときに「本土」という呼び方はいまだに残っている。それどころか非公式の場、日常の場では今も「本土」ですらなく「内地」という言葉が使われている。これは戦前の大日本帝国憲法に定められた定義の名残りだ。では沖縄は「外地」なのか?戦前に端を発するこれらの言葉がいまだに根強く使われる現実が差し示すものは、一体なんなのか。

 

復帰50年を記念して製作されたNHKの連続テレビ小説「ちむどんどん」は、沖縄北部やんばるの架空の村を舞台とし、初回から主人公の実家のロケ地が高江(米軍のヘリパッド建設が強行され、反対運動が続く地域)にあることなど、物議を醸していた。当初は、2001年の連続テレビ小説「ちゅらさん」が生み出した「癒しの島」などのステレオタイプな沖縄ファンタジーをいかに払拭できるのか?に注目が集まったが、開始から2ヶ月が経過した今では、「基地の無い架空の島を描いたマルチバース作品」と揶揄されている。SNS上には #ちむどんどん反省会 と称したタグが広まり、政治的な意味合いを超え、物語としての在り方に「本土」からも多くの批評が押し寄せて、連日トレンドになっている。

「(米軍統治下を描いたちむどんどんより)前作のカムカムエブリバディの方が米兵が出てくる…」という皮肉なツイートが目に止まった。

架空の村とはいえ、復帰当時のやんばる、ロケ地である高江では、住民がベトナム村という米軍訓練施設に駆り出されベトナム人の役をさせられるなど、特異な歴史が存在する。仮にこのドラマに復帰50年を「祝う」意図があるとしても、米軍統治下のウチナーンチュの苦悩や被害を軽視するなら、そこからの解放としての「本土復帰」を「祝う」という心情自体が成立しないのではないか? 沖縄からの視点を欠いた、なんとも煮え切らない物語だ。

製作サイドにその意図があろうと無かろうと、これは「本土」から見た都合の良い沖縄像の強化であり、結果的に米国占領下から今も続く基地被害の透明化に加担する作品になってしまったと私は考えている。

 

沖縄北部やんばる、高江周辺の米軍旧北部訓練場。この返還地の森に残された米軍の廃棄物を拾い集めている蝶類研究家の宮城秋乃さんは、米兵が放置した実弾などを使って「ちむどんどん」と文字を書きSNSに投稿した。

「復帰50年」という空虚。沖縄と「本土」の深い溝がそこに可視化されている気がした。

https://twitter.com/TaiinAKN64/status/1521715592247783424?s=20&t=16GfEiuMu12_NBdFDOb2tw

 

「クソのような節目だ」と芥川賞作家の目取真俊さんは全国紙の紙上で語り、一方、covid19への規制が緩和された2年ぶりのゴールデンウイークで、那覇国際通りにはオリオンビールやブルーシールのTシャツを着た観光客が機嫌よく闊歩していた。鮮やかな光と途方もない闇が混在する沖縄。揺れ動くその境界で、私たちは自分に都合よく、見たいものだけを見ている。そんな感覚に苛まれていた。

 

実際に問題は山積みで、辺野古の建設だけではない。米軍機の騒音や事故、米兵の犯罪。PFOS (沖縄県は昨年、米軍基地周辺の水質調査結果をまとめ、49地点中38地点で、発がん性が疑われる有機フッ素化合物「PFOS」などの濃度が環境省の 暫定目標値を超えたと発表した。46倍に達する地点もあった)などの水質汚染。健康被害や環境破壊。それらの隠蔽を容易とする日米地位協定の不平等性。さらには戦後の鉄道や道路事情の不備。観光や土木建設頼りで、県外資本に利益が還流してしまう経済構造。

 

そしてそれらに起因するのが沖縄と「本土」の経済的格差であり、貧困問題だ。

 

復帰直前のある日、ふとしたことから沖縄中部うるま市で地元の人たちのユンタク(井戸端会議のようなもの)に混ぜてもらう機会があり、そこで「復帰50年」の話題になった。

60代中盤の男性は「そろそろ祝ってもいいんじゃないかな」と曖昧に言った。理由を尋ねると「あのままアメリカが統治していたらもっと恐ろしい状態だったかもしれない。でも今がいいとも言えないけどね。復帰前はみんなして日の丸掲げてたよ。正月も祝日も、そういう習慣だった。復帰後にしなくなったね。今、日の丸掲げてたら、反社だと思われるさ」。その場にいた人たちは皆、小さく笑った。これが笑いになる空気というのは「本土」の人にはなかなか理解されないだろう。そして復帰後に日の丸を掲げなくなったというこの事実こそが、「復帰50年」のウチナーンチュのひとつの重要な回答に思えた。

 

違和感や忸怩たる想いとともに、日付は刻一刻と「復帰50年」の5月15日に近づいていく。本当にこのまま、式典の日を迎えていいのだろうか? 心の中にざわめきを抱え、もがいている人たちの存在を感じた。私自身ももがき、何かに突き動かされるように過去の資料などを漁さるうちに、とにかく行動を起こさなければと、その葛藤は沸点に達した。私はこの曖昧模糊たる「復帰50年」をそのまま記録しようと決めた。

あらゆる立場、属性や世代が、多様な想いを抱えるこの節目を、このモヤモヤごと、割り切れなさごと記録しよう、歴史に残そうとドキュメンタリー作品の構想を始めた。それがこの沖縄の「復帰50年」に、そしてこれからの50年のために、ナイチャー(本土人)である私にできる精一杯の贖罪のような気がした。

 

元山仁士郎から連絡が来たのは、まさにそんな夜だった。彼は大学院生でありながら、2019年の県民投票について先頭に立った人物であり、その際に行われたハンガーストライキには私も帯同し取材した。

2019年、辺野古の米軍基地建設の賛否に関する県民投票の開催に漕ぎつけた沖縄県だったが、自民党系の市長を有する5つの自治体が県民投票への参加を拒否した。それをきっかけに彼は5つの自治体のうちのひとつである地元、宜野湾市役所前で「県民投票への全県参加」を訴えるハンガーストライキを始め、105時間、奮闘した。その結果、全県開催の声が高まり、妥協案としての3択案が生まれ、この5市長は態度を翻し、県民投票の全県開催が実施されたのである。それは揺るぎない歴史的事実だった。しかしそうして出た沖縄県民の72.2%が辺野古の新基地建設に反対するという投票結果を、政府は今も無視し続けていた。 

送られてきたプレスリリースを読み、彼もまた沸点に達したのだと感じた。ハンストの開始は2日後だった。一も二もなく、私は翌日の便で羽田に飛んだ。

その日の朝だった。また米兵が自動車事故を起こし、沖縄の61歳の男性が巻き込まれて死んだ。死亡した男性は基地従業員だった。まるで1970年のコザ暴動の原因の焼き直しのような事故だ。

この50年で変わったものは一体なんなのか?苦虫を噛みつぶすような気分で私は東京の喧騒の中に紛れ込んだ。

 

元山仁士郎のプレスリリース

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プロフィール

大袈裟太郎
大袈裟太郎●本名 猪股東吾 ジャーナリスト、ラッパー、人力車夫。2016年高江の安倍昭恵騒動を機に沖縄へ移住。
やまとんちゅという加害側の視点から高江、辺野古の取材を続け、オスプレイ墜落現場や籠池家ルポで「規制線の中から発信する男」と呼ばれる。 
2019年は台湾、香港、韓国、沖縄と極東の最前線を巡り、2020年は米国からBLMプロテストと大統領選挙の取材を敢行した。「フェイクニュース」の時代にあらがう。

 

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