情熱的なコーチとの出会い
追い込まれたギリギリのところにいたエリーを救ってくれたのは、あらたに指導に入って来た新任コーチのステーィブ・ヤングの存在だった。スティーブはそれまで地元のスイミングクラブで教えていたローカルコーチで、トップレベルの選手に対する指導経験は無かった。しかし、その分、AISに抜擢されたことを名誉に思い、新鮮な情熱を持ってやって来た。スティーブは単調で憂鬱な毎日に変化をもたらしてくれた。
「それまでは朝、起きてただプールに行くということの繰り返しだった。それをリフレッシュさせてくれたの。彼はいつも腕をパンチして『いいぞ、その調子!』と言ってくれた。水泳に対する情熱がすごくて、自分が少しでも役に立てているということが、嬉しくて仕方がない。そんな気持ちが伝わってきたの」
(C)Paralympic Documentary Series WHO I AM
アスリートと指導者は互いへの信頼関係があって初めてシナジーが起こる。この人物はどこまで真剣に自分に向き合ってくれるのか、無意識に選手はコーチを測っている。単に仕事としてなのか、自分のキャリアアップのためなのか、それとも人生をまるごとかけてくれているのか。その意味で、スティーブはプレイヤーズファーストの精神を貫く指導者だった。孤独だったエリーは、あらゆる感情をさらけだす必要があった。ただでさえ内省を求められる個人競技の、しかも繊細な20歳前後の選手である。一本泳ぐごとに感情がくるくる変わると言っても過言でもない。気持ちはときには深く潜り、ときには爆発することもある。それでも、スティーブはそれらすべてに向き合ってくれた。エリーの長所も短所もすべて理解した上で寄り添ってくれた。信頼するコーチの存在は肩の激痛をひととき忘れさせ、意識を再び高めてくれた。たったひとりの闘いと思っていた中で光明が見えた。
内戦で足を失った選手、宗教上の制約で女性が活躍できない国に生まれたアスリート……。パラリンピアンには、時に五輪選手以上の背景やドラマがある。共通するのは、五輪の商業主義や障害者スポーツに在りがちなお涙頂戴を超えた、アスリートとしての矜持だ。彼らの強烈な個性に迫ったWOWOWパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。番組では描き切れなかった舞台裏に、ノンフィクション執筆陣が迫る。
内戦で足を失った選手、宗教上の制約で女性が活躍できない国に生まれたアスリート……。パラリンピアンには、時に五輪選手以上の背景やドラマがある。共通するのは、五輪の商業主義や障害者スポーツに在りがちなお涙頂戴を超えた、アスリートとしての矜持だ。彼らの強烈な個性に迫ったWOWOWパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。番組では描き切れなかった舞台裏に、ノンフィクション執筆陣が迫る。