WHO I AM パラリンピアンたちの肖像 第5回

不死鳥の如く

たった5メートルから果たした再起
木村元彦

顔を洗うことさえ苦しい

 潜伏していた悲劇は、生活の中に突然現れた。AISに入って1年後、頭を洗おうとしたら、激痛が走り、腕が上がらなくなった。肩を酷使することによって、肩関節に付着している関節唇という軟骨がめくれてしまう病気、関節唇損傷に冒されていたのである。エリーのブレない泳ぎは片足でバランスと舵が取れる体幹の強さの賜物であるが、爆発的な推進力を得るのはクロールも背泳も上腕の回転によってであった。上半身でバランスを取る必要が無い分、パワーは凝縮され、肩はその酷使に悲鳴を上げていた。類まれなボディバランスを持つエリーの宿命とも言えた。関節唇は関節をスムーズに動かす潤滑油のような役割をしている組織だが、一度損傷するともとには戻らず、一定の角度にはまると激しい痛みを伴う。顔を洗う所作ですら制限されるという重症であった。それでも国からの投資を受けている以上、休むわけにはいかなかった。故障のことは一人で抱え込んだ。あまりの痛さに投げ出したくなったときは、目標とする人物、家族のことを思い描くことでトレーニングに臨んだ。

(C)Paralympic Documentary Series WHO I AM

 「ナタリーは今、何をしているだろう。彼女を越えるにはどうしたらいいか? そればかり考えていた。それから北京での思い出。表彰台に立ったときに派手なオーストラリア国旗のカツラを被った母が、フェンスから身を乗り出して涙を流しているのを見たの。ああ、パラで結果を出すということは私だけではなくて家族が誇らしい気持ちになれることなのだと気づいた。だからケガを理由に立ち止まることはできなかった」

ナタリー・デュトワはロンドンでの引退をすでに公言していた。彼女と戦うチャンスを逃したくはない。母親はエリーからの電話の度にあえて突き放すようなことを言った。

 「苦しいのは当たり前、人生で楽なものはない。楽ならば皆がやっているはずだ」

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WHO I AM パラリンピアンたちの肖像

内戦で足を失った選手、宗教上の制約で女性が活躍できない国に生まれたアスリート……。パラリンピアンには、時に五輪選手以上の背景やドラマがある。共通するのは、五輪の商業主義や障害者スポーツに在りがちなお涙頂戴を超えた、アスリートとしての矜持だ。彼らの強烈な個性に迫ったWOWOWパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。番組では描き切れなかった舞台裏に、ノンフィクション執筆陣が迫る。

関連書籍

橋を架ける者たち 在日サッカー選手の群像

プロフィール

木村元彦
1962年愛知県生まれ。中央大学文学部卒業。ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト。東欧やアジアの民族問題を中心に取材、執筆活動を続ける。著書に『橋を架ける者たち』『終わらぬ民族浄化』(集英社新書)『オシムの言葉』(2005年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞作品)、『争うは本意ならねど』(集英社インターナショナル、2012年度日本サッカー本大賞)等。新刊は『コソボ 苦闘する親米国家』(集英社インターナショナル)。
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