WHO I AM パラリンピアンたちの肖像 第5回

不死鳥の如く

たった5メートルから果たした再起
木村元彦

コップの水にさえ抱いた嫌悪感

 しかし、スタートのピストルが鳴るとそういった感情はすべて吹っ飛んだ。ナタリーがパラに転向以来、不敗を誇る100m自由形S9。お互いにとってこれが最後のレースである。エリーは痛みを忘れて必死で肩を回した。エリーは第5レーン、ナタリーは第4レーン。互いに視界に入る。前半50mを3位で折り返したエリーは猛烈なラストスパートを敢行。1着でゴール、ついにナタリーを下した。エリーは自らの優勝を確認すると、スタンドに向けて大きなガッツポーズを掲げ、次に隣のレーンにナタリーを探して抱擁した。ナタリーもまた祝福してくれた。

 表彰台のセンターに立ち、念願のオーストラリア国歌を聞いた。エリーはしかし、手放しで喜んではいなかった。

 「私は、何かナタリーに対して申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。彼女はパラの水泳に大きなものをもたらしました。私は、アイドルとの最後のレースに勝ってしまったことでナタリーの目が見られなかったのです。私は昔から彼女のようになりたいと思っていた。彼女の世界記録を破ることになりましたが、私にとって彼女は永遠の記録保持者なのです」

 しかし、エリーの逡巡などお構いなしに、ナタリーは心からの祝福をしてくれた。

 「おめでとう。あなたには明るい未来が待っている」

 ナタリーにすれば、自分が牽引してきたS9に頼もしい後継者が現れたという思いがあったのであろう。心置きなく引退が出来るということでの謝辞でもあった。「あなたには、明るい未来が待っている」という言葉の裏には、かつてのナタリーがそうであったようにエリーもまた、同種目で二連覇、三連覇と記録を伸ばしていくだろう、という気持ちがあったのだろう。実際に、この日のエリーの泳ぎにはそれを予感させる力強さがあった。

(C)Paralympic Documentary Series WHO I AM

 ところが、それに対してエリーは何も答えることができなかった。ナタリーは知る由も無かったが、すでに両肩は崩壊しており、彼女もまた引退を決意していたのである。

 AISへの責任感とナタリーへの思い、家族への感謝をモチベーションに変えてやってきたが、水泳そのものについてはもはや、コップの水さえも、見るとプールを思い出して飲めなくなってしまうというほどまで、限界に達していたのである。

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WHO I AM パラリンピアンたちの肖像

内戦で足を失った選手、宗教上の制約で女性が活躍できない国に生まれたアスリート……。パラリンピアンには、時に五輪選手以上の背景やドラマがある。共通するのは、五輪の商業主義や障害者スポーツに在りがちなお涙頂戴を超えた、アスリートとしての矜持だ。彼らの強烈な個性に迫ったWOWOWパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。番組では描き切れなかった舞台裏に、ノンフィクション執筆陣が迫る。

関連書籍

橋を架ける者たち 在日サッカー選手の群像

プロフィール

木村元彦
1962年愛知県生まれ。中央大学文学部卒業。ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト。東欧やアジアの民族問題を中心に取材、執筆活動を続ける。著書に『橋を架ける者たち』『終わらぬ民族浄化』(集英社新書)『オシムの言葉』(2005年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞作品)、『争うは本意ならねど』(集英社インターナショナル、2012年度日本サッカー本大賞)等。新刊は『コソボ 苦闘する親米国家』(集英社インターナショナル)。
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