WHO I AM パラリンピアンたちの肖像 第5回

不死鳥の如く

たった5メートルから果たした再起
木村元彦

水泳には関わるが、水には入らない

 ロンドン大会でリレーを含む4つの金メダルを獲得したエリーは、そのまま引退を宣言。新しい生活の場所は、3年間過ごしたAISのあるキャンベラではなく、家族の住むフランクストンであった。しばし、実家で静養を重ねた。朝、目が覚めると母が聞いてくる。

 「おはよう、今日は何をするの?」

 水泳を始めて以来、忘れていた穏やかな時間が流れていた。静かな生活は心が安らいだが、時が経つに連れて、今の自分は果たして何者なのか、という問いが頭をもたげてきた。セカンドキャリアの中でのアイデンティティの模索である。9ヶ月が経った2013年6月、仕事をするために動き出した。選んだ職は水泳のコーチ。シドニーに引越し、キャッスルビルアクアセンターで子どもたちを指導するというものであった。

 泳ぐ気持ちはもうまったく無かった。ただ水泳の仕事をしたかった。エリーは当時の気持ちをこう語る。

 「自分を安全圏に置いたのよ。水泳には携わっているけど水には入らないってね」

 オーストラリアでは、障がい者スポーツのアスリートが健常者を教えるということが普通に行われている。

 キャッスルビルの水泳指導員、ネイサン・ドイルは職員に応募してきたのが、あの金メダリストだと知って驚いた。

 「それまで代表クラスの選手を教えたことがなく、エイジグループ(年齢別)スイミングの指導がメインの私のアシスタント・コーチの職に応募して来たんです。彼女のような経験がある人材を断るはずがありません。彼女は当時、自分が何をやりたいのか分からず岐路に立っていましたが、第一印象はとても陽気な人でうまく一緒にやっていけそうに思っていました」

(C)Paralympic Documentary Series WHO I AM

 ネイサンの予想は当たった。明るく快活なエリーの指導は子どもたちに好評で、彼ら彼女たちの泳ぎに対するモチベーションをどんどん上げていった。楽しく笑顔を絶やさないその姿は他のコーチにも良い影響を与えていった。

 エリーは24歳になっていた。水泳は大好きだが、肩の故障からもうあの地獄に入るのは躊躇せざるをえない。安全圏に身を置いた指導者としての生活は、それなりの充実感をもたらしてくれた。

次ページ   自分はこれほどまでに水泳が好きだったのだ
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
 第4回
第6回  
WHO I AM パラリンピアンたちの肖像

内戦で足を失った選手、宗教上の制約で女性が活躍できない国に生まれたアスリート……。パラリンピアンには、時に五輪選手以上の背景やドラマがある。共通するのは、五輪の商業主義や障害者スポーツに在りがちなお涙頂戴を超えた、アスリートとしての矜持だ。彼らの強烈な個性に迫ったWOWOWパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。番組では描き切れなかった舞台裏に、ノンフィクション執筆陣が迫る。

関連書籍

橋を架ける者たち 在日サッカー選手の群像

プロフィール

木村元彦
1962年愛知県生まれ。中央大学文学部卒業。ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト。東欧やアジアの民族問題を中心に取材、執筆活動を続ける。著書に『橋を架ける者たち』『終わらぬ民族浄化』(集英社新書)『オシムの言葉』(2005年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞作品)、『争うは本意ならねど』(集英社インターナショナル、2012年度日本サッカー本大賞)等。新刊は『コソボ 苦闘する親米国家』(集英社インターナショナル)。
集英社新書公式Twitter 集英社新書Youtube公式チャンネル
プラスをSNSでも
Twitter, Youtube

不死鳥の如く