WHO I AM パラリンピアンたちの肖像 第5回

不死鳥の如く

たった5メートルから果たした再起
木村元彦

たった5メートルからの再起

 2013年8月に左肩、12月に右肩の再建手術を行った。

 両肩にメスを入れてからの、アスリートとしての再生。想像するだけで気が遠くなるようなリハビリが待っていた。

 エリーはここでトレーニングのトレーナーに、職場の上司でもあるネイサン・ドイルを指名する。真摯に水泳と向き合っているネイサンと、このシドニーの地から復活を目指すことに意義を感じていた。支援をしてくれたAISにはもちろん感謝をしている。しかし、自立しているアスリートならばナショナルチームを率いた実績の無いコーチとであっても信頼関係さえあれば、世界を目指すことができると証明したかった。野育ちのエリーらしい選択であった。

 とは言え、ゼロどころかマイナスからのスタートである。2014年5月、手術後、初めてプールに入って泳ぐことができたのはたったの5メートルであった。

(C)Paralympic Documentary Series WHO I AM

 ネイサンはエリーとの対話を重視した。

 「徹底的に話し合って僕は彼女の泳ぎたいという気持ちを引き出すことにした」

 どのような方向性でリオパラリンピックを目指すのか? 話し合った結果、ふたりで導き出され、確認されたのは、「高校生もパラリンピアンも水泳以外とのバランスが大切」という考えだった。ロンドンを目指していた頃は、24時間常に水泳について考えることを余儀なくされた。エリーは言う。

 「水泳を辞めても人生は続く。水泳にすべてを奪われないように。大学も仕事も続け、夜に出かけても罪悪感を持たないようにした」

 しかし、管理を振り払うことでトレーニングは逆に厳しく課した。母国オーストラリアのために。それを開放することでもう一度、自分を取り戻すことにしたのだ。故障前よりも長く泳ぐことはできないので筋肉トレーニングを多く取り入れて徹底的に負荷をかけた。

 ネイサンは努力をし続けることでみるみる回復していくエリーを見守りながら、内心舌を巻いていた。

 「最初は水の中で動くというかなり基礎的な練習から始めました。感覚を取り戻すためです。エリーの練習への姿勢には非常に驚かされました。とても忍耐強く焦ったり、手を抜いたりすることはありませんでした」

 エリーの真骨頂は、欠けた足を補うためにバタ足を身体の中心で維持できるという点であった。ネイサンはそこを中心に据えて強化していった。詳細を説明せずとも、本人は段階を踏む復活のプロセスをすでに理解していた。やがてあらゆることを健常者のアスリート以上にこなすようになっていた。

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WHO I AM パラリンピアンたちの肖像

内戦で足を失った選手、宗教上の制約で女性が活躍できない国に生まれたアスリート……。パラリンピアンには、時に五輪選手以上の背景やドラマがある。共通するのは、五輪の商業主義や障害者スポーツに在りがちなお涙頂戴を超えた、アスリートとしての矜持だ。彼らの強烈な個性に迫ったWOWOWパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。番組では描き切れなかった舞台裏に、ノンフィクション執筆陣が迫る。

関連書籍

橋を架ける者たち 在日サッカー選手の群像

プロフィール

木村元彦
1962年愛知県生まれ。中央大学文学部卒業。ノンフィクションライター、ビデオジャーナリスト。東欧やアジアの民族問題を中心に取材、執筆活動を続ける。著書に『橋を架ける者たち』『終わらぬ民族浄化』(集英社新書)『オシムの言葉』(2005年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞作品)、『争うは本意ならねど』(集英社インターナショナル、2012年度日本サッカー本大賞)等。新刊は『コソボ 苦闘する親米国家』(集英社インターナショナル)。
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