連載
推し活がビックビジネスになりつつある昨今。とりわけ、アニメ、アイドル、お笑い分野はかつてない活況を呈している。
それと同時に、かつては存在しなかった言葉がファンの間で流通し始めた。それが「公式」である。作品の制作者の意図、アイドルの世界観、番組の意図などその言葉の使われた方はさまざま。共通するのは「公式の判断が絶対視」されていることである。なぜユーザーたちは「公式」を絶対視するようになったのか?
日本のメディア・消費の変化の最前線を取材し続けてきた著者が、「正解」や「絶対者」を超えた欲望をあきらかにする。
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第5回
暴走する当事者性/公式はオールドメディアを「殺す」のか②2026.6.29 -
第4回
ジャーナリズムの死/公式はオールドメディアを「殺す」のか①
2026.5.26
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第3回
「公式」とファンは結託する
2026.4.23
2002年、現役時代から比較されてきた長嶋茂雄の後を継ぎ、読売巨人軍の15代監督に就任した原辰徳。その後、3期17年に渡って監督を務め9度のリーグ優勝と3度の日本一に導いた彼は、巨人の伝統を背負いながら大型補強と大胆なベンチワークを独特のマネジメントでまとめ、新しい野球の形を示した。しかし、現役時代から昭和の象徴である長嶋茂雄の後を背負いながら、平成・令和を経て野球という娯楽の在り方の変化に翻弄された。そして、3度目の監督就任時にはファンから多くのバッシングを受けながら監督を退任するに至る。若き改革者は、なぜファンからも嫌われる「ヒール」になったのか?17年の軌跡を追う。
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第4回
若大将の屈辱―2003年編2026.6.26 -
第3回
“ジャイアンツ・アズ・ナンバーワン”が終わり、原巨人がはじまる——2002年編
2026.5.28
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第2回
「私を信頼して使ってくれますか?」 1998年〜2001年編
2026.4.29
トレイルはアメリカ発祥の概念で、山野に付けられた道を歩く、いわゆる「山歩き」。
北米ではポピュラーなアクティビティであり、文化として根付いている。
山に登るのではなく、山を歩くとはどういうことか。なぜ人々は山を歩くのだろうか。
20年にわたり国内外のトレイルを歩き、日本におけるトレイルカルチャーの普及に努めてきたプロハイカーが、その豊富な実体験を通して「山歩きの哲学」を伝える。
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第4話
アメリカ3大ロングトレイル、最後のCDTへ2026.6.13 -
第3話
バッグパックを引き継ぎパシフィック・クレスト・トレイルへ
2026.5.16
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第2話
アパラチアン・トレイルと伝説の第一人者
2026.4.18
生成AIの登場によって、人類はより情報や知識にアクセスしやすくなった。それゆえ、「知識があるだけの人間は意味がない」「いっぱいものを知っていることより、創造的なアイデアを持っている人のほうがいい」といった言説も流通し始めている。人間にとって「知る」ことの意味とは何か。そして、現代の「知る」ことの困難とは何か。
哲学・批評・クイズ・ビジネスの領域で活動し続ける田村正資氏が、さまざまな分野を横断しながら、「知る」ことの過程をひもといていく。
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第6回
記憶とリアリティ——どうやったらもっとたくさん覚えられるのか?2026.6.12 -
第5回
知っているのか、単にそう思っているだけなのか?
2026.4.30
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第4回
科学的な知がもたらす暗がりについて
2026.3.26
福祉施設や病院などケアの現場で、美術や演劇、音楽やダンスはもとより、ラジオ番組やカルタ創作など、多様なアート・表現の実践が近年なされている。
なぜケアの現場で、アートが必要とされてきたのか。そして、アートが入ることで、その場の人々の関係の回路は、どう組み替えられてきたのか。
福祉やケア、アートの現場を行き来しながら、「多様な背景を持つ他者といられる〈場〉をつくる」ことを行ってきた、アーティスト・文筆家のアサダワタルが、実践現場も紹介しつつ探っていく。
SNS以降の情報環境の変化、旧来型メディアの衰退、世界の政治状況の混沌……そのような時代の人文知はどのような形で存在しうるのか?ライター・編集者の佐藤喬氏が、新しい「知の居場所」を作ろうとしている人々に話を訊く。
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亀石倫子×ダースレイダー
平尾剛


森野咲